作家・冲方丁「すべてのメディアの根底には活字が存在している」~物語に耳を傾ける人間力の画像
作家・冲方丁「すべてのメディアの根底には活字が存在している」~物語に耳を傾ける人間力の画像

 作家としての原点を遡ると幼少時代の海外経験に辿り着きます。父の仕事の関係で、ぼくは4歳から9歳までをシンガポールで、10歳から14歳までをネパールで過ごしました。

 生まれてはじめて小説を書いたのは、14歳のとき。当時、日本のアニメやマンガが海外で評価されはじめた時期でした。『AKIRA』や『風の谷のナウシカ』『機動戦士ガンダム』をインターナショナルスクールに通う世界各国の子どもが見ていた。でも翻訳がされていなかったから、みんなぼくに聞いてくるんです。「なんて言っているんだ?」「なんでそうなるんだ?」と。いちいち答えるのが面倒くさくなったので、ストーリーを小説形式で書きはじめた。セリフだけ抜き出しても微妙なニュアンスは理解してもらえないから、背景も書き込んでいく。意図していませんでしたが、気がついたら小説を書いていたんです。

 何よりネパールには娯楽がなかった。『少年ジャンプ』が手に入るのは数か月に一度。いま振り返ると自分たちが娯楽を作り出すしかなかったというのも大きかったですね。そんな経験が人間の考え方、感じ方への興味へとつながりました。学校にはヒンドゥ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒も、あらゆる宗教を信仰する子どもたちがいました。

 たとえば『AKIRA』なら登場する少年について「彼らはブッディストなのか、クリスチャンなのか」と聞いてくる。『ガンダム』なら連邦軍とジオン軍のどちらがキリスト教かを気にしている。ぼくも14歳ですから答えようがない。「そんなの知らないよ」と(笑)。でも彼らが物語に感情移入する過程で、宗教は避けては通れません。日常生活もそう。ランチタイムでもお弁当のおかずを交換できない。トンカツをユダヤ人にうっかり食わせようものなら訴訟を起こされても文句を言えない。あるいはヒンドゥ教徒にすき焼きを食べさせたら、大変なことになります。

 そんな環境で、ぼくは物語を通して日本文化を説明していたのかもしれません。けれど、高校時代までは絵を描いて生きていきたいと思っていたんです。だって、絵画は翻訳する必要がない。全世界の人にわかってもらえるでしょう。でもある日、自分が文章の人間だとハタと気付いた。ぼくはいつもこれから描く絵について、文章を書いていたんです。先生に「なんで君は美術部なのに絵を描かないんだ」と呆れられるほどでした(笑)。

 身体が言葉を求めていた――。そう実感しました。それで、高校時代の終わりから本格的に小説を書きはじめました。ただ当時、「活字離れ」という言葉が流行っていた。その原因はアニメやゲームだとも言われていた。けれどそれは本当なのか。確認するために20代のころ、小説だけでなく、アニメやマンガ、ゲームの原作や脚本も手がけました。ジャンルを横断して修行するなかで、すべてのメディアの根底には活字が存在していると確信した。安心して、一生小説に邁進できるぞ、と。

 そんな時期に書きはじめたのが、架空の都市マルドゥック・シティを舞台にした警察クライムもののテイストを盛り込んだSF小説『マルドゥック・スクランブル』。ぼくはひとりの人間の価値観とは、その人だけで生み出しているのではなく、複数の人間が存在し絡み合うなかで生まれると考えています。だから15年続けたシリーズ最新作『マルドゥック・アノニマス1』の主人公はバロッドの相棒だった知恵を持つネズミにしました。当初は、人間の善意や良心のメタファーとして書いていたから、主人公にするつもりはなかった。でも、マルドゥック・シティという舞台と登場人物が織りなす物語の要請に耳を傾けてみると、次はこれしかない、と思えた。

 たとえ創作に行き詰まっても物語の、そして登場人物たちの裡なる声に耳を傾ければ、必ず答えは見つかると信じているんです。人間がそこにいるのは偶然だけど、意志を持つことにより、必然になる。SFでも時代小説でも現代小説でもファンタジーでも人間の裡なる声を描きたい。いつもそう考えているんです。

撮影/弦巻 勝

冲方丁 うぶかた・とう
1977年、岐阜県生まれ。96年、『黒い季節』で角川スニーカー大賞金賞を受賞し、デビュー。その後、小説、漫画原作、ゲームシナリオなどを手掛け、03年に『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞を受賞。10年には時代小説『天地明察』で、吉川英治文学新人賞と本屋大賞を受賞し、一躍脚光を浴びた。そのほかにも『光圀伝』(山田風太郎賞受賞)など数々のヒット作を世の中に送り出すほか、物語が持つ力に付いて述べた新書『偶然を生きる』を出版するなど幅広く活躍中。

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