相葉雅紀「嵐から脱退」を本気で悩んだ理由の画像
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 相葉雅紀といえば、嵐のメンバーいちロケが多いせいか、初対面の相手であってもその懐に飛び込んでいくのがうまいと定評がある。『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)、『嵐にしやがれ』(同)、『相葉マナブ』(テレビ朝日系)など、現在週におよそ3回は相葉出演の屋外ロケの模様が放送されている。あまりバラエティ番組に出演しないほかのメンバーに比べると、相葉のロケ率はかなり高いといえるだろう。

 そんな相葉、快活で天真爛漫なイメージを抱かれがちだが、意外なことに過去には嵐を本気で脱退しようと思った時期があったという。しかも、まだ先行き見えないグループの結成前後ではなく、ある程度グループが軌道に乗ってからの話だ。

 2002年、相葉は肺気胸を患った。ハワイで行われるファンイベントの1週間前に発症したが、直前ということもありツアーキャンセルはできず。ツアーに同行はしたものの、激しいパフォーマンスを伴う嵐のライブには不参加。肺が破裂する危険性があったからだ。

 そのため、ステージ袖から4人のダンスをただ観ているしかできなかった。この時、彼の心が「もう無理かもしれないというところまで落ちちゃった」という。

 かつて祖母から、親せきを肺気腫で亡くしていたことを聞かされていたため、真剣に転職を考えた。幸いにも千葉県の実家は両親が中国料理店を営んでいるため、まずは家業を継ぐことを考えた。ほかにやりたいことも考えた。しかしその後、病気は順調に回復し、脱退という最悪な事態からは免れた。

 しかし11年6月、今度は左自然気胸で緊急入院。前回の右ではなく左胸に痛みを訴えたことが、せめてもの救いだった。2回目ということもあり、対処法はある程度わかっていたが、自然気胸はなんの前ぶれもなく突然肺に穴が開き、空気が漏れて縮んでしまうという病気だ。一過性のものだが、再発の危険性は十分ある。

 いろいろな思いがあったのだろう。昨年デビュー15周年ライブを嵐と縁深いハワイで開催したとき、そのステージに立った相葉は人目もはばからず泣いた。病気で心が折れそうになりながらも、15年間嵐のメンバーでいられたことに対する感激の涙だったのだろう。

 ハードなスケジュールをこなすタレントなら体調への不安は、誰もが抱えている。しかも嵐のように世間の注目を浴びるアイドルは、その期待にも常に応え続けなければならない。だからこそ、かつての苦悩を乗り越えた相葉の明るさは、見る人をより強く惹きつけるのかもしれない。

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