「真田丸」で再ブレイク! 草刈正雄の特異な演技プランとは?の画像
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 戦国時代の武将・真田幸村ゆかりの街として知られる長野県上田市で4月24日、「上田真田祭り」が開かれた。メインイベントの武者行列にはNHK大河ドラマ『真田丸』の出演者たちがゲストとして参加。ドラマで真田昌幸を演じる草刈正雄(63)ら出演者6人が劇中での戦国時代さながらの衣装で中心市街をねり歩き、祭りは例年にない盛り上がりを見せた。馬上の草刈が進む先々では、若い女性からの嬌声や男性ファンからの「マサオ」コールが飛び交い、ドラマによる草刈人気の広がりを裏付ける光景があちこちで見られた。「40年に1つの役」と草刈本人が言う通り、大河での真田昌幸が久々の当たり役となり今やプチブレイク状態。70年代には国民的な二枚目俳優として超絶的な人気を誇っていたが、その後いつのまにか「怪優」としてのポジションを築き、ここへきて再びその存在感を増している草刈正雄。あらためてその足跡を追ってみよう。

 草刈は1952年、福岡県小倉市(現・北九州市)でアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれた。父はアメリカ軍の兵士だったが、当時勃発した朝鮮戦争で戦死。母一人、子一人の母子家庭で育ち、家計を助けるため小学生のときには新聞配達と牛乳配達の仕事を掛け持ちしていたという。父親の顔を知らずに育った草刈だが、母親には後年、草刈など問題にならないぐらいハンサムだったとよく聞かされたそうだ。福岡市で開かれたファッションショーを見に行っていたところをスカウトされ、上京したのが17歳のとき。すぐに70年代の伝説的CMディレクターだった杉山登志氏の目にとまり、資生堂のCMに起用されるといきなりブレイクを果たす。男性向け化粧品シリーズのCMだったために、その人気は女性はもちろんのこと、憧れの対象として男性若年層からの支持も絶大だった。

 売れっ子モデルとしての活躍を経て俳優の道に進み、モデル時代の勢いに乗って若手俳優のトップに立ったのが20代半ばの頃。ドラマ『新選組始末記』(TBSテレビ系)で演じた沖田総司がハマリ役となり俳優として大ブレイク。「草刈正雄」という単語が、ハンサムなイイ男を指し示す代名詞になるような人気ぶりだった。しかしその一方、その人気が仇となり漫画やモノマネのネタにされることも多く、「草刈正雄」と言うだけで人がプッと笑ってしまうというような、存在自体がギャグになってしまうポジションにあったのも事実である。

 しかし驚異的な草刈人気も、70年代末が絶頂期。若さとルックスで売っていた役者が突き当たる、年齢の壁に直面したのだが、そこで草刈がとった方向性が凄い。なんと自分で自分のマネをする、という演技方法を追及するようになったのである。もともと人気絶頂の時期から、何をやっても草刈正雄になってしまう大根役者だと評されることも多かったのだが、いつのころからかまるで冗談のように、キザでスカしたキャラクターを極端に誇張して芝居をするようになったのだ。結果、どの役を演じようが常に草刈正雄で、役のほうが草刈に近づいてゆくという芸能界では他に類のない「草刈正雄」というジャンルを築き上げたのだった。その悪ノリの果てとも言うべきか、2007年には映画『0093 女王陛下の草刈正雄』でイギリスの諜報部員である「草刈正雄」役で主演。2013年には充電式草刈機のCMで草刈機を背負い、草を刈りながら「オレは……オレは……草刈だ!」と本人の役を熱演した。2009年からは美術情報番組『鑑賞マニュアル 美の壺』(NHK総合)に出演し、前ナビゲーターだった谷啓(78没)の「甥」である「草刈正雄」という設定の趣味人役を演じている。

 今回の真田昌幸役では、30年前に共演したドラマ『真田太平記』(NHK総合)での丹波哲郎(84歳没)を参考にしていると草刈は語っているが、やはりどう見ても草刈正雄だ。古今の名役者、特にハリウッドの名優の例を見ればわかるように、自分で自分のマネをするという演技法を確立した役者というのは強い。なにしろ役をこなせばこなすほどその存在感は増してゆくのだから。今後の活躍にも注目だ。

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