中居正広「庶民派スター」を生んだ“極貧生活”の画像
中居正広「庶民派スター」を生んだ“極貧生活”の画像

 SMAPの中居正広が、最愛の父、正志さんを亡くして1年が過ぎた。享年79歳。地元の同級生や家族を大事にすることで知られる中居は、自他ともに認めるファザコンだった。特に30代以降は「お父さんの趣味に付き合ってあげよう」と考え、正志さんが大好きなゴルフを覚えたそうだ。友だちや芸能界の先輩とゴルフに行く時は、必ず正志さんも誘い、一緒にラウンドを回っていた。

 それは中居なりの持論があってのことだった。10代までは家族の時間が多いが、20代から30代は友だちや仕事、遊びに没頭するあまり、家族と離れる。それに気づいてからは親と一緒にいられる時間をなるべく作り、40代以降は同じ趣味を持とうと決めたのだ。自分が出演するバラエティ番組に、正志さんがたびたび出演するようになったのも、それがきっかけだったらしい。

 中居が幼少時代に住んでいたのは、4畳と3畳半くらいの2間、風呂なしの家だった。そこに父と母、兄弟3人が住んでいたというから、かなりの困窮状態だ。なぜか「ちょっとした庭があった」ため、そのかわりに子ども部屋を作って欲しいとずっと思っていたという。

 風呂には週2回しか入れず、夏場は兄弟とも学校でプールがあるため、自宅での入浴は日曜日だけ。正志さんは仕事から帰ると、「風呂に入らせろ!」「現場にプールはねぇんだ」と嘆き、ブルブル震えながらホースで水のシャワーを浴びていたそうだ。

 家計はいつも厳しく、吉野家の牛丼は高いので食べられなかった。たまに行けるのが、マクドナルド。しかし、値段が高めのハンバーガー、SサイズではなくMサイズのドリンクを頼むと、親から体をつねられた。バウムクーヘンは、友だちの家でしか食べられなかった。また、お金持ちの家のカルピスが濃厚だったことに、かなり衝撃を受けたらしい。

 裕福ではない子どもは必ずといっていいほど、オリジナルのレシピを考案する。中居が兄と生み出したのは、白米の食べ方だ。白いご飯にバター、しょう油を混ぜたバターライスである。チューブのわさびと酢をかけた、わさびご飯というのもあった。だが調味料がなくなると、水をかけただけの「水かけご飯」を食べていたという。

 しかし家族仲はとてもよく、中居はデビューしてから少しずつ貯めたお金を実家に届けたり、父親に車を買ってあげたという逸話もある。いまや国民的スターとなって年収も貯金もウン億円とウワサされる中居だが、幼少期の経験からか実はあまりお金を使わないことでも知られている。そんなどこか庶民的な部分を持ち続けていることこそ、中居がお茶の間で愛され続ける理由なのかもしれない。

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