「今と違って、他球団の選手同士での交流など、存在しなかった時代の話です。僕が右ひじの手術をしたとき、佐々木さんは、“キヨの後輩だから……”と言って、わざわざ親切にアドバイスしてくれたんです。本当にうれしかったですね」

 損得勘定でない“男の美学”が凛と輝くばかりだ。佐々木氏は、本当に清原のことが好きなのだ。「メジャーリーグ入りし、マリナーズのマウンドに立っていたときも、“キヨのことだけは気にしていた”とインタビューで思いを激白。しかも、佐々木が日本球界に返り咲いた際、清原に“キヨから三振取るのが楽しみで日本に戻ってきた”“2000本安打は俺から打ってくれ”と電話していたというんです」(全国紙運動部記者)

 迎え撃つ番長の愛情も、尋常ではない。「2005年8月9日、2人にとって思い出の地、仙台(フルキャストスタジアム宮城)で、佐々木の引退試合が行われました。横浜対巨人、2回裏、バッターボックスに6番清原。そこで大魔神がマウンドへ向かいました。清原は、外角に落ちるフォークをフルスイングし空振り三振。“男泣き”しながらマウンドへ歩み寄り、抱擁を交わしたんです」(前出のベテラン野球記者)

 佐々木は、笑顔で優しく清原を受け止めた。包容力のある兄と、やんちゃな弟“義兄弟”さながらだ。事実、佐々木氏の懐は、太平洋よりもずっと深い。「すでに清原の薬物疑惑が報じられ、周囲が彼を避ける中、佐々木だけが変わらず接していたんです」と言うのは球界関係者。

「14年、佐々木の野球殿堂入りを祝うパーティのときの話です。イチロー、王さんをはじめ、各界の著名人800人が出席を予定する中、清原は“俺が行くと迷惑がかかる”として出席を辞退。しかし、佐々木は“お前が来ないと始まらない”と言い、清原を説得し出席させたんです」(前同) そのパーティの席上、「清原は右脚、左胸から背中にかけて“墨”を入れていたが、佐々木氏は、“野球人だろ? 全部消して一から出直せ”と直言したんです」(同)

 正面切って苦言を呈するのは、男気があってこそ。「佐々木は関係者を2次会に誘ったが、そのメンバーに清原がいると聞くや、理由をつけて帰る者が続出。その空気を察知した清原が気を遣い、密かに会場を後にしたんです」(同) 自己犠牲の精神で互いを思いやる関係にある2人。堕ちた番長は、大魔神の手を借り、這い上がっていくことができるのだろうか。

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