豪腕・田中角栄が遺した「現代ニッポンを救う方法」の画像
豪腕・田中角栄が遺した「現代ニッポンを救う方法」の画像

 国と民の未来を思い描いてそれを実現しようと全身全霊で努力する。明晰な頭脳と燃える心を持つ彼の姿を見よ!

「現代の日本に吉田茂が、あるいは岸信介が生きていたら、と言う人はいない。何度でも蘇るのは、田中角栄ただ一人です」 こう語るのは、作家の大下英治氏。

 “決断と実行”を掲げ“コンピュータつきブルドーザー”と評された稀代の政治家・田中角栄(1918~1993)。「もし今、角さんが生きていたら……」 没後23年にして何度目かの“角栄待望論”が巻き起こるのは、難問が山積し、閉塞感に覆われた日本の現状の反映と言えるだろう。新潟県の雪深い農村に生まれ、高等小学校卒の学歴ながら政界入りを志した田中は47年の衆院選で28歳の若さで初当選。その後、郵政、大蔵、通産大臣を歴任し、自民党幹事長として豪腕を発揮し、72年7月、54歳で内閣総理大臣に就任。“庶民宰相”“今太閤”と呼ばれた。

 しかし、金脈問題が『文藝春秋』の記事で暴かれ、田中政権は2年半後の74年12月に崩壊。さらに76年にはロッキード事件で、5億円の受託収賄の容疑で逮捕・起訴される。しかし、その後も長きにわたって政界に君臨し“キングメーカー”“目白の闇将軍”として日本政治史にその名を轟かせる巨星だ。その田中が、自民党総裁選出馬直前の72年6月に出版したのが『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)だった。

 東京への一極集中から地方再生へ。全国に伸びる高速道路網と新幹線を軸に、日本全体の工業化を促進するというグランドデザインを描いた同書は、91万部のベストセラーを記録。日本全国に“列島改造ブーム”を巻き起こした。全国を高速道路と新幹線でつなぐという構想は現在、高速道路で130%も実現した。ただし、新幹線は30%の実現率。ビジョンの完成が望まれる。

 “将来の日本”を大胆に構想した『日本列島改造論』の根本思想は、44年後の今でも輝きを放ち続けている。その『日本列島改造論』を受け継ぐように、前出の大下氏が著したのが『田中角栄の新日本列島改造論』(双葉社刊)だ。同書は、生前の田中を知る政治家、官僚、側近ら14人の証言から、現代日本が直面する諸問題を“角さんなら今の日本をこう変える”という視点で分析している。

 大下氏は、人間・田中角栄の魅力をこう話す。「角さんの料亭での会合は週3回。午後6時から7時までに一軒、7時~8時で一軒、8時~9時で一軒といった調子で、駆け足で回りながら政財界の大物たちと会うわけです。吉田さん、岸さんだと上座に座って杯を受けるわけですが、角さんは自ら徳利を持って“やぁやぁやぁ”と自分でお酌をして回り、その場にいるみんなと話す。これは感激しますよ」

 自派閥の議員たちの面倒を見る際も、気配りを忘れないのが角栄流だ。「金を配るとき、角さんは愛人で金庫番だった佐藤昭子さんに、よくこう言っていたそうです。“金を渡すときに、くれてやるという態度は絶対に見せるな。もらうほうも辛いんだ”と。角さんは苦労人だけに、人を見る目に温もりがある。非常に目線の低い人なんですね。彼の言葉に“人間はみな失敗する。できそこないだ。そのできそこないを愛せるかどうか。そこにすべてがかかっている”というのがある。私が一番好きな言葉です」(前同)

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