一人、休止ではなく解散を主張した香取に草なぎが同調したのは、「09年に草なぎが起こした事件で、謹慎中の草なぎに甲斐甲斐しく差し入れを持っていくなど、気遣ってくれたから」(同)だという。

 休止ではなく解散――木村は家族旅行中のハワイで、この決定を知ったということからも、急転直下の解散だったことが分かる。

「退社したI氏は、なかなか人気の出なかったSMAPをバラエティ番組に出演させて、彼らの才能を開花させた人物。彼女がいなければ現在のSMAPはなかったともいわれるほどで、メンバーとは深い信頼関係で結ばれていました。特に、結成時まだ11歳だった香取にとっては母親同然の存在でしたが、木村は、そのI氏を裏切り事務所についたわけですから、香取が頑なになるのも分かる。香取は、先輩である木村に対する尊敬も強かったため、信じていた相手に裏切られたと感じ、意固地になったんでしょう」(同)

 そもそも、なぜI氏はジャニーズ事務所を去らねばならなかったのか。「発端は15年1月に『週刊文春』が掲載したメリー喜多川副社長のインタビューです。ジャニーズ事務所の“事実上の最高権力者”といわれるメリー氏は、“I氏が事務所内で派閥を形成し、メリー氏の娘で同じく副社長を務める藤島ジュリー景子氏と勢力争いをしている”という風聞に対して激怒していたんです。インタビュー現場にI氏を呼びつけ、“後継者は娘のジュリー”と明言し、“(派閥があるなら)SMAPを連れて出ていきなさい”とI氏を恫喝する様子が綴られています」(前出の芸能記者)

 I氏にしてみれば、誌上で赤っ恥をかかされたうえに、「SMAPは踊れないじゃない」と手塩にかけて育ててきたタレントをけなされたことで、独立へと動き出したともいわれる。だが、こんな話も伝わってくる。

「メリー氏が文春のインタビューを受ける前から息苦しさを感じていたI氏は、SMAPを連れて独立しようと、水面下で大手プロ幹部らと接触してようです。その動きを察知したメリー氏が、SMAPの5人に“独立計画は潰す”とのメッセージを送るために、あえてインタビューに応じたともいわれています。つまり、あのメッセージは世間に対してではなく、I氏とメンバー5人に対して発せられたものだったわけです」(前出の業界関係者)

 いずれにせよ、インタビュー記事の掲載が、その後の解散騒動の端緒となったことは間違いないようだ。「実際、インタビュー掲載から半年が過ぎた15年の夏頃には、スポーツ紙各紙は“キムタクを除くメンバー4人が、9月の契約切れを待って、I氏と大手芸能プロのKに移籍する”ことを確信していたといいます。これは実現しませんでしたが、年が明けるや“すわ解散か”の記事が一斉に報じられたんです」(前同)

 それから7か月後、解散は現実のものとなってしまう。ここで気になるのは、彼らの今後だろう。全メンバーが解散後もジャニーズ事務所に残ることが明らかになっているが、「事務所は香取に対し怒り心頭であるため、飼い殺しにするでしょうね。来年9月の契約切れをもって香取は退社するはずですが、これには仲のよい草なぎも追随するとみられています。MCとして定評があり、引く手あまたの中居には、一部で吉本興業に移籍する予定との報道もありますが、本命は大手芸能プロのTと目されています」(同)

 いずれにせよ、キムタク以外のメンバー4人の移籍に関して、情報が乱れ飛んでいるため、テレビ局や広告代理店は仕事のオファーの出しようがないという

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