山口百恵、太田裕美、中森明菜…「昭和の美人歌姫」の現在とはの画像
山口百恵、太田裕美、中森明菜…「昭和の美人歌姫」の現在とはの画像

 歌は世につれ、世は歌につれ。激動の「昭和」は常に、時代と添い寝した歌姫たちの存在があった。あの名曲を歌っていた美女は今、どうしているのか? 伝説の歌姫から、忘れられないお色気歌手、実力派アイドルまで、その近況を追跡しよう!

 9月7日に、『ザ・ピーナッツトリビュート・ソングス』なるCDがキングレコードより発売された。これは、新旧女性歌手が多数参加し、『恋のバカンス』『恋のフーガ』など、ザ・ピーナッツの名曲をカバーした企画盤だ。4年前に姉の伊藤エミが他界し、今年の5月に妹のユミも死去。稀代の双子デュオは幻の存在になっても、その楽曲は永遠に歌い継がれるのである。ザ・ピーナッツはこの世にいないが、彼女たちより後にデビューした歌姫たちの多くはまだまだ健在だ。

 いしだあゆみ(68)が『ブルー・ライト・ヨコハマ』をヒットさせたのは、東大安田講堂事件があった1969年(昭和44年)のこと。「この曲は彼女の26枚目のシングル。デビュー5年目にして、ようやくつかんだ大ヒット曲でした」(老舗レコード会社関係者) 人気歌手となった彼女はその後、女優としても成功を収めた。今もペースは落としながらも女優活動を継続中だ。

 いしだあゆみとドラマ『金曜日の妻たちへ』で共演した小川知子(67)は、もともと東映の女優だった。「彼女は、当時の東映の路線に嫌気がさして歌手に転向。最初に出した『ゆうべの秘密』(68年)が大ヒットします」(前同) 84年には、谷村新司とのデュエット曲『忘れていいの』が話題を呼ぶ。その後、彼女は一時、露出を減らすが、2000年代には歌手に復帰。かつての人気歌手が一堂に会する合同コンサートなどに出演している。

 黛ジュン(68)の『天使の誘惑』は「3億円事件」が発生した68年の日本レコード大賞受賞曲。「スカートから伸びたふとももとパンチのある歌声に夢中になりました」(前同) 栄光を手にした彼女だが、以後の歌手人生は決して順風満帆ではなかった。「結婚・離婚を繰り返したり、作詞家との婚約破棄騒動があったり、病気で声が十分に出なくなったりと、紆余曲折ありました。低迷期には成人向け映画に主演したことも」(元芸能記者) しかし、現在は喉の調子も戻り、ステージに復帰。

 69年に『夜明けのスキャット』をヒットさせたのが由紀さおり(67)だ。「最近は米国のジャズオーケストラとの共演アルバムが国際的に高い評価を受け、若いファンも増加。この夏は大規模音楽フェスにサプライズゲストとして招かれました」(芸能プロ幹部)

 小柳ルミ子(64)は71年に『わたしの城下町』でデビュー。翌年の『瀬戸の花嫁』で不動の人気を得る。昭和40年代から関西フォーク界でマネージャー、司会者、イベント運営者として活躍し、当時の音楽界をよく知る北川啓二氏(現・出版プロデューサー)は、彼女の印象をこう語る。「いつもニコニコと笑顔がまぶ眩しかった。彼女が部屋に入ってきた瞬間、華やかなオーラを感じるんです」 そのオーラに加え、歌唱力とナイスバディを今もキープし、旺盛なステージ活動を継続中だ。「最近はガチなサッカーファンとしても注目されています。ブログでサッカーを熱く語り、スタジアムに応援に行く。W杯前回大会は、全試合をテレビ観戦したとか」(スポーツ紙記者)

 あさま山荘事件が起きた72年、ちあきなおみ(68)は『喝采』で、レコード大賞を受賞した。「歌唱力は、美空ひばりと双璧でしょう」(音楽ライター) ところが92年、最愛の夫だった俳優の郷鍈治(ごうえいじ)さん(宍戸錠の実弟)の死を境に、彼女は一切の歌手活動を休止してしまう。「復帰を望む声は強く、ベスト盤が発売されたり、回顧番組が放送されたりしています。ただ、どこかで静かに暮らす彼女が復帰する可能性は低いでしょう」(前出のスポーツ紙記者)

 ジュディ・オング(66)の『魅せられて』は、79年の代表曲。ゴージャスな衣装が今でも語り草だ。前出の北川氏いわく、「美人で知的なだけではなく、彼女は人柄が素晴らしい。誰にでも優しく接するので、スタッフのみんなに愛されていました」 そんな完璧美女は現在も売れっ子タレントで、陶芸家としての顔もあり、文化人的な活動でも忙しい。

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