華やかなスターが集う芸能界。そんな誰もが憧れる世界だけに、異業種からの“脱サラ”組も少なくない。中にはトップスターに昇り詰めた者もいるというが、いったいどんな面々が芸能界へ転身することになったのか、その理由を交えてまとめてみた。
デビュー前に意外な仕事に就いていたのが、ロンドンブーツ1号2号の田村亮(44)。相方の田村淳(42)とともに今やお笑い界をリードする存在だが、高校卒業後は正社員として地元のスーパーで働いていたというから驚かされる。マジメな性格は昔からのようで、職場ではテキパキと働き、お客さんや同僚からの評判も上々だったそうだ。しかし、そんな安定した生活も1年半でピリオドが打たれる。芸人を目指すべく、上京することを決心したからだ。紆余曲折を経て、東京・北千住の風呂なし6畳部屋で暮らすことになった田村は、キャベツだけで空腹を満たすという極貧生活を送りながら、路上ライブで芸を磨き、銀座7丁目劇場のオーディションに見事合格。念願の芸能界デビューを果たすこととなった。
スーパーつながりで思い浮かぶのが、レイザーラモンのHG(40)。同志社大学在学中に相方のRG(42)とお笑いの活動を始め、すぐさま新人漫才師の登竜門として知られる「今宮えびす子供マンザイ新人コンクール」で大賞に輝くが、大学卒業後は地元の生協へ就職。トラックでの商品配送やセールスに携わっていたという。冷蔵庫の販売では、ノルマの2倍の台数を売り上げるなど、上司から期待される存在だったが、芸人への夢が断ち切れず、たった4カ月で仕事を辞めることとなった。
同じくお笑いタレントの藤井隆(44)も高校卒業後は化学薬品会社に就職し、経理マンとして約3年間勤務した脱サラ組だ。在職中に吉本新喜劇が土日に演劇やダンス、歌のレッスンを受けられる若手劇団員を募集しているのを知り、サークル感覚で応募したところ、合格してしまったという。会社に勤務しながらだったので、吉本での活動は長続きしないと思っていたそうだが、その思いとは裏腹に1992年に出演した情報バラエティー番組『テレビのツボ』(毎日放送系)でブレークし、芸人に専念することになった。
あまり知られていないが、俳優の佐々木蔵之介(48)も脱サラ組の一人。実家が造り酒屋だったこともあり、神戸大学在学中はバイオテクノロジーや酒米を研究。卒業後は家業を継いだ際に必要な販売戦略を学ぼうと広告代理店に就職したが、学生時代から続けていた劇団活動を本格化させたため、約2年半の勤務で会社を辞めている。劇団では、1998年の退団まで看板俳優として関西を中心に活躍。退団後に上京し、2000年放送のNHK連続テレビ小説『オードリー』で、一躍脚光を浴びることとなった。ちなみに、お笑いコンビ・ますだおかだの増田英彦(46)は広告代理店時代の同期で、新入社員研修を一緒に受けた仲だという。
意外に多い芸能人の脱サラ組。異色の経歴が個性あふれる芸風を生み出しているのは、間違いないようだ。