罠に落ちた田中角栄「ロッキード事件は冤罪だった!」の画像
罠に落ちた田中角栄「ロッキード事件は冤罪だった!」の画像

 今太閤と呼ばれた政治家を突如として襲った疑獄事件。その背後にはドス黒い国際陰謀が渦巻いていた――!!

「私は田中派の議員というより一政治家としてロッキード事件に強い疑問を抱いたので、当時、アメリカを何度も行き来しました」 こう語るのは、田中角栄元首相率いる田中派の議員として、角栄氏の傍らで仕えた石井一元自治大臣(衆院11期、参院1期)だ。石井氏は7月に『冤罪~田中角栄とロッキード事件の真相~』(産経新聞出版)を上梓、各界で反響を得て版を重ねている。

 石井氏は当時“田中派の青年将校”と呼ばれ、角栄氏の傍を離れることがなかっただけに、著書には、これまで知られていないエピソードが散見される。「石井氏はロッキードは冤罪であると主張していますが、私もその通りだと確信しています。現役の政治部の記者でロッキードを“額面通り”に受け止めている人間は皆無ですよ。現在、多数の関連書が発行されて角栄氏が再評価されていますが、その多くは氏のトップとしての器や、人情家としての一面に焦点を当てたものです。ただ、石井氏の著書のように、ロッキードという“最悪の茶番劇”の正体を暴くことこそが、角栄氏の本懐なのではないでしょうか」(『嵌められた政治家たち』の著書がある政治ライターの鈴木文矢氏)

 戦後最大の疑獄とされるロッキード事件(1976年=昭和51年)当時、角栄氏はすでに首相を辞任していたが、自民党内の最大派閥の領袖として事実上、政局を操っていた。「角栄氏が内閣を解散し首相を辞任したのは、74年10月に発行された月刊誌『文藝春秋』の特集でした。『田中角栄研究その金脈と人脈』と題された記事がもとで、“金権政治は許さない”の世論が巻き起こり、野党が関係者の国会招致を求めたため、角栄氏は首相辞任を余儀なくされたわけです」(前同) 権力者を殺すのに刃物は不要。スキャンダルの一つもあればよい……というのが、政界のルール。しかし、規格外のパワーを持っていた角栄氏は死ななかった。

「首相を辞めてからも自民党最大派閥の領袖として、政局を牛耳っていましたからね。“闇将軍”“キングメーカー”と呼ばれ、絶大な権力を誇示していました」(ベテラン政治記者) 衰えを見せない角栄氏の権勢に焦る黒幕が放った“トドメの矢”が、ロッキード事件だったという。

 以下、事件の経緯を振り返りながら話を進めたい。事の発端は米上院のチャーチ委員会(多国籍企業小委員会)だった。委員会を率いるチャーチ上院議員のオフィスに、段ボールが届く。その中には、米大手航空機メーカーであるロッキード社(現ロッキード・マーティン社)の秘密資料や自社航空機の売り込み工作に使用した金銭の領収書が詰め込まれていた。チャーチ上院議員は、委員長を務める委員会で徹底追及することを決めるのだが、石井氏は“不可解な点”を次のように指摘する。

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