すべてはファミスタからはじまった…俺たちの「野球ゲーム」30年史の画像
すべてはファミスタからはじまった…俺たちの「野球ゲーム」30年史の画像

 1986年12月、伝説のゲームが産声を上げた。少年たちは夢中になってコントローラーを握り、クラスメートや兄弟と腕を競い合うことになる。あれから30年。このゲームを超えるべく、数々の野球ゲームが誕生した。懐かしくなること間違いなし!

 子どもたちのライフスタイルを激変させたファミリーコンピュータ(ファミコン)の登場から3年が経った、1986年の12月。メーカー各社のかき入れ時とも言えるクリスマス商戦の話題を、ナムコ社製(現・バンダイナムコエンターテインメント)の、とあるソフトが独占した。

 累計販売本数205万本という驚異的な売上を記録したそのソフトこそが、今なお“ファミスタ”の通称で親しまれる『プロ野球ファミリースタジアム』だ。あとに続いたすべての野球ゲームの“原点”になったと言っても過言ではない、ファミコン史上に燦然と輝く名作中の名作だ。

 2万本を超えるゲームソフトを保有するファミコン芸人のフジタ氏は、この『初代ファミスタ』が世に出た当時の衝撃を、こう振り返る。「とにかくゲームとしての完成度が抜群に高かったんですよね。何しろ当時は任天堂が出していた『ベースボール』が唯一の野球ゲームという時代。オートだった外野守備が自分でできるっていうだけでも画期的でしたし、“ぴの”をはじめ登場する選手に、ちゃんと個性があるのも斬新でした。

 タイトルに“ファミリー”とついているだけあって、初心者でも、ちょうどいい案配でプレイできる操作性のよさも、他とはまったくモノが違いましたしね」事実、ファミスタの“二匹目のドジョウ”を狙った80年代後半からの野球ゲームブームでは、参入メーカーの多くがファミスタを模したシステムを採用した。それまで『ベースボール』の独壇場だったニッチな市場は、ファミスタとは似て非なる“亜種”の乱立によって、にわかに活気づくことになっていく。

 前出のフジタ氏は言う。「言ってみれば、当時出たソフトのほとんどがファミスタの二番煎じ。しかも、そのどれもが“元祖”を超えるまでには至らなかったんです。第2弾の『87年度版』なんて初代の外箱にシールを貼っただけの“手抜きパッケージ”だったのに、130万本も売れたわけですから、状況的には完全にファミスタの独り勝ちでした。その間には、のちに“パワプロ”(『実況パワフルプロ野球』)シリーズでジャンルを席巻するコナミも、『エキサイティングベースボール』というディスクシステム用ソフトで初参入していますが、まったく勝負になりませんでした」(フジタ氏=以下同)

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