ブームが本格的になる89年までの3年間でファミスタが売り上げた本数は、シリーズ3作で実に500万本弱。同時期の発売で社会現象にまでなった『ドラゴンクエスト3 そして伝説へ…』が約380万本だったことからしても、その絶対王者ぶりは容易に想像がつくだろう。

「そんな中、唯一ファミスタに匹敵するメガヒットとなったのが、今では“クソゲー”としても名を馳せる『燃えプロ』(『燃えろ!!プロ野球』)でした。ゴロの打球が異常に速かったり、“バントホームラン”に代表されるトンデモ設定が多々あったりと、ゲームバランスの悪さばかりが強調されがちですが、エンタメ性はかなり高かったですし、テレビ中継をファミコンのスペックで再現してやろうという試みも、すごく野心的だった。そういう意味では、ファミスタとは一線を画した名作と呼んでも差しつかえはないですね」(フジタ)

 一方、PCエンジンで独自路線を突き進んでいたハドソンの『パワーリーグ』や、ファミスタと『燃えプロ』のいいとこ取りで人気を博したタイトーの『究極ハリキリスタジアム』。プレイヤー自身が監督目線で采配を振るう『ベストプレープロ野球』(アスキー)などなど、のちにシリーズ化される人気作があらかた出そろった89年以降になると、いわゆる王道からは外れた“変化球”な意欲作も、続々とリリースされた。

 ジャンルとしての野球ゲームは、ますます盛り上がりを見せていった。「とりわけ僕が気に入っているのが、カルチャーブレーンから出ていた『超人ウルトラベースボール』(89年)というソフト。場外ホームランをスーパージャンプでキャッチしたり、デッドボールでバッターを粉砕したり、ピッチャーもろともセンターまで吹っ飛ばしたり……と、文字通りの超人的なワザがテンコ盛りの“バカゲー”です。ちゃんとした野球がしたい人からすると邪道以外の何物でもないですけど、当時はその手のソフトもわりと出ていて、バリエーションはかなり豊富だったような気がします」

『超人~』だけで、なぜか3000本も個人所有しているというフジタ氏は、さらに続ける。「たとえば、北米版のファミコン『NES』で91年に発売された『ベース・ウォーズ』というソフトは、ごく普通の野球ゲームと見せかけて、クロスプレーになった瞬間、格闘ゲームに切り替わるっていうトリッキーなシステムを採用していましたし、数年後に『ストリートファイター2』で一世を風靡することになるカプコンは、88年のクリスマスイブに『プロ野球?殺人事件!』という、よく分からない謎のアドベンチャーゲームを出しています。内容に至っては、江川卓と思しき主人公の“いがわすぐる”が日本中を飛び回って、自分に着せられた濡れ衣の真相を解き明かしていく……という、もはや野球である必然性すら、まったくないゲームでしたね(笑)」

 裏を返せば、粗製濫造の極みでもあった“野球ゲームブーム”は、93年に開幕するJリーグなどの影響で陰りを見せ始めた野球人気とともに、次第にフェードアウトしていったのだ。明らかな供給過剰に陥った大量のソフトたちは、巷の中古ゲーム市場ですら、いくらにもならず、二束三文の安値で買い叩かれるハメにもなるのだった。

「流通量が多いうえに、購買層がある程度固定されてしまっているスポーツジャンルのソフトは、中古市場でも、ほとんどプレミアがつかないことで有名なんです。だから、途中でカセットの色が赤から黒に変わった『燃えプロ』にしても、色が違うからレアにはなってない。僕の知る限りでも、高値で取引されているのは、90年にサン電子から出た『なんてったって!!ベースボール』ぐらい。ちなみに、このソフトは親カセットに差し込むデータカセットを入れ替えることで、半永久的に遊べる“ツインカセットシステム”という方式を採用していて、プレミアがついているのは2種類ある、このデータカセット。モノによってバラつきはありますけど、いまだに2万円前後で取引されています」

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