AKB48も仮面女子も泣き笑い! 貧乏アイドルたちが語る「ボンビーガール伝説」ぶっちゃけ座談会の画像
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 きらびやかなステージ上の姿の裏にあった真逆の生活。涙なしでは聞けない、健気すぎる生き様を赤裸々告白!

――早速ですが、皆さん、いつから貧乏なんですか?

一同 ハイ、生まれたときからです!

三秋里歩(以下、三秋) 私の家は、住宅地でうちだけ見つけられへんくらいめっちゃ小さい2階建て。6畳に2つの毛布で家族5人、川の字で寝ていましたよ。

窪田美沙(以下、窪田) うちは1年中、コタツに一家4人で寝てました。窓がなくて、そこにビニール袋を貼っていて、玄関も壊れてて誰でも、虫でも入れたんです。だから、小学生の頃のあだなは「おんぼろアパート」。床にはアリの行列ができたり、寝ているときに15センチくらいある大きなクモが体を這っていたこともありました。

三秋 分かる。なぜか動物や虫が住みつきやすいですよね。コウモリもいはったなあ。トタンで建て増しした半分外にあるようなお風呂には、ナメクジやアメンボがいて。保育園時代、泊まりにきた友達が、「何、これ怖い」と、ひと言残して帰って以来、友達を招待するのをやめました(笑)。

窪田 私も友達に家を見られたくなくて、わざと遠回りして下校してましたね。

緑川静香(以下、緑川) ボリボリボリ。あ~、それ可哀相。その点、うちは学校からは遠かったからバレずに済んでました。

――開始早々、お菓子をすごい勢いで頬張っている緑川さんは、どんな家に住んでいたんですか?

緑川 すいません、つい! 私は、赤の他人の家の3畳の物置に住んでいました。5歳のときに父が蒸発して社宅を出ることになって、母が「ここなら住めそう」という場所を探してきてくれたんです。ネズミが走るたびに天井の粉(木屑)が降る所に、母と兄と3人でダンボールを敷いて寝ていましたね。部屋の端のほうは土がむき出しだったので草木が生えていました。本当に食べる物がないときは雑草を食べてました。お母さんが、「火を通せば何でも食べられる。火がなくても日光には殺菌作用があるから、葉っぱを天に掲げて自分の手が熱くなってきたら食べ頃」と教えてくれたのを、きちんと守っていましたよ!

――いやいや(汗)。

三秋 私も保育園のとき、お腹が空きすぎて花の蜜を吸ってたら先生に怒られたことがありました! 「花は食べ物じゃない」って。

窪田 それ、ツツジですよね? 私もよく吸ってたなあ。一緒にアリも口に入ってくることがあったけど、甘くておいしかったです。プチッとして、お菓子みたいで

緑川 虫は、私は一度だけ。空腹の極限のときに、ちょうど家に入ってきたコオロギがチョコレートに見えて……。味はバッタみたいな深いコクがある感じ。

三秋 そもそもバッタ味、知らないです(笑)。うちではよく小麦粉を薄く焼いて塩を振ったものを「お好み焼き」と呼んで食べていました。NMB48に加入して初めて大阪で本物を食べたときは衝撃でしたね。「具が入ってはる! なんなら麺まで!」って。そういう意味では、当時は給食が命綱じゃなかったですか?

緑川 本当にそう! でも私、小学生のとき一時期、怖い女子に目をつけられてイジメられて、ストレスの腹痛で給食が食べられなくなったことがあったなあ。

窪田 可哀相……。でも、貧乏って自然治癒力、めっちゃありません? 私、高校卒業するまで病院行ったことないですよ。親に「風邪でしんどい」と言うと、「しんどくない! 気のせい」って言われてました。

緑川 あるある。うちもスズメバチに刺されたとき、「唾つけときゃ治る!」って。でも実際、治りました。

三秋 うちは一家全員、貧血で倒れたことがあって、そのときはさすがに危ないと思ったらしく、次の日に、みんなでお肉を食べました。でも、当時は「肉=食べ物」という概念がなかったので、苦手でしたね。

――はっ!? どういうことですか?

緑川 えっ、分かりませんか? 私も母にずっと、「肉はゴムの味よ」と言われてて嫌いだったんです。でも、芸能界に入って焼き肉を食べさせてもらったとき、「うわー、こんなにおいしいんだ!」と感じて、ようやく洗脳が解けました(笑)。

窪田 私も同じです! 今はお肉好きになりました。『牛角』最高!

――叙々苑とかではなく?

窪田 高いお肉は体が受けつけないんです……。

三秋 焼肉なんて食べなかったですよね!? 当時の贅沢といえば、年越しそばと、クリスマスに父が会社からもらってくるケーキ。だから年末は楽しかったですね。

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