時の政府とのいびつな関係?「天皇陛下と生前退位」5つの謎

 天皇陛下が8月にビデオメッセージで「生前退位」の“お気持ち”を述べられてから、3か月。有識者会議が開催され議論されているが、この「生前退位」とはどういうものなのか? 10月28日に新刊『日本人が知らない「天皇と生前退位」』を上梓したカリスマ歴史講師の八柏龍紀氏が「生前退位」にまつわる5つの謎を解説する。

謎その1:天皇は生前退位をするのが当たり前だった?

 時代に合わせて天皇に求められる役割も変わってきたという。ケガレを祓う役割、為政者の役割、文化庇護者の役割、君主の役割だ。

「そもそもは、ケガレを祓う役割でしたから、ケガレのない若い天皇を求めたことがあります。たとえば、平安時代の清和天皇(在位858年~876年)の時代は、驚くほど多くの天変地異が起きた。京の都の大洪水に始まり、大火の連続、天然痘の大発生、大飢饉、大地震、赤痢大流行、富士山噴火、大干魃、陸奥一帯での大地震(貞観大地震)、関東でも大地震が起きるなど、その被害は筆舌に尽くしがたいものでした。そこで清和天皇は27歳で退位・出家し、修行僧も驚くほどの絶食をともなう激しい仏道修行を通じて、この時代の天変地異への折伏鎮撫をはかった。その結果、天皇は31歳の若さで没したのですが、当時のこうした災厄は、神であるとともに祭祀者である天皇が鎮撫すると信じられていました」(八柏氏=以下同)

 天皇はそもそもケガレを祓う存在であったため、経済力の源泉となる荘園などは持つことはできない。平安時代の後期には、上皇になれば、荘園の経済力を手にでき、政治にも関われるようになったことから、院政がはじまり、次々に生前退位を行うようになった。このため、日本の歴史を振り返ると実は今上天皇を含めて125代(南北朝期の北朝を除く)天皇のうち、すくなくとも7世紀の大化の改新以降、明治天皇までの88代中、60代ほどが「生前退位」しているのだ。

謎その2:最初に生前退位した天皇は誰?

 皇統について、古い時代のもので残っているのは史書『日本書紀』であり、この史書は、この時代の中国の史書の形態をならい、持統天皇(在位690年~697年)の意向が強く反映されたものだ。

「『日本書紀』によると初の生前退位は、645年、乙巳の変(大化の改新)後に、女性天皇である皇極天皇(宝皇女)が同母弟の軽皇子(孝徳天皇)に譲位した時です。退位した皇極天皇はその後、孝徳天皇の死去にともない、再度、天皇に即位し、斉明天皇となります。このように一度退位した天皇が再び即位することを重祚(じゅうそ)といいますが、斉明天皇は初めて重祚した天皇でもあります。この時代は、中大兄皇子、古人大兄皇子、山背大兄王と男性の皇位継承者が3人もいたのですが、激しい対立を避けるために、異例として皇極天皇がおかれたという見方もあります」

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