歌詞に込められた意味をきちんと表現できるかどうかが重要というのは、プロでも同じだ。「ちゃんと作曲、作詞した歌を歌手が表現することができるかどうかですね。いい曲だと思って歌わせても全然ダメで、違う歌手にしたら売れた、というのはありますよ。でも、本当のところ、ヒットする理由はわからない(笑)。難しい。タイミングと当時の時代背景もありますからね」
そうした意味で、奇跡的なヒットとなったのが、宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』(作詞・宮史郎/作曲・並木ひろし 72年5月発売)だ。最終的に400万枚を突破し、日本歌謡曲史上に金字塔を打ち立てている。ところが、この歴史的な曲の始まりは、トリオ10周年記念の宣伝のため、自主制作した300枚だったのだ。これを関係者に無料配布したところ、関西の有線放送で流れて評判になり、メジャーデビューを果たした。『8時だョ!全員集合』で、加藤茶がお巡りさんのコントで毎回、歌ったことも話題になった。
300枚の自主制作が、400万枚のモンスターヒットになるのだから、わからない。「売れない人は実はみんな自主制作してるんです。普通の人でも、死ぬまでに1回CDを出したい、って記念で出しますからね。昔だと本の自費出版だったんですけど、今は歌が多い。専門にやっているレコード会社もありますから。自分で曲書く人もいるし私の思い出を先生ちょっと詞書いてください、って書いてもらい、作曲もしてもらう、ということもあります。だいたい1000枚くらいCDを作ってくれて、300万から350万。作詞作曲が付いて、レコーディングスタジオも付いて、CDジャケットもちゃんと撮影して、いい曲ならJASRACに登録して、全国のカラオケに入ります。みんながどんどん歌ってくれたら、自分で作ったやつなら印税入ってきます」
ひょっとしたら、400万枚……の可能性も!? 「自分が作詞して彼女にプレゼントするとか、感動ですよ。バースデープレゼントに、君のことを書いた詞だ、って。『シクラメンのかほり』も自分の妻をイメージして作ったでしょ?」
布施明の『シクラメンのかほり』(作詞/作曲・小椋佳 75年4月発売)も名曲の誉高い一曲。75年の年間2位で、87.9万枚のヒットとなっている。もともと香りのなかったシクラメンだが、この曲によって香りの要望が高まり、96年になってバイオテクノロジーによって香気のあるシクラメンが流通するようになった、という仰天の逸話がある。小椋の妻の名が「佳穂里」ということで、美しいシクラメンを妻になぞらえたラブソングと、当時は話題になった。
反対に、寺尾聰の『ルビーの指環』(作詞・松本隆/作曲・寺尾聰 81年2月発売)は男女の別れを歌って135万枚の大ヒットとなった作品だ。81年の年間ランキング1位に輝いたこの曲が世に出る際にも、秘話があった。ドラマ『西部警察』に出演していた寺尾が石原プロ関係者に聞かせると「まるで、お経のようだ」と評されたという。しかし、石原裕次郎の「いい曲じゃないの」というひと言でレコード化されたというのだ。