――なるほど。秋場所は7日目に同じく全勝の平幕・隠岐の海を破って7連勝。翌日はストレートで勝ち越しを決めました。優勝を意識し始めたのは、どのあたりからだったんですか?

豪 大関戦(照ノ富士戦)が組まれた10日目を過ぎたくらいですかね。「意識する」というよりも、これまで優勝争いのトップに立つ経験をしたことがなかったので、「気持ちだけは負けないようにしよう」と思ったんです。

 11日目には、秋場所で“綱取り”の期待がかかっていた2敗の大関・稀勢の里戦が組まれた。稀勢の里の強いおっつけをしのいだ豪栄道が、一瞬の隙をついてもろ差しになり、渡し込みでの勝利。3敗になった稀勢の里の綱取りと優勝は、この時点で厳しいものとなった。そして、13日目は2差で追う、日馬富士との直接対決。日馬富士の上手投げで土俵際まで追い込まれた豪栄道は、必殺の首投げで横綱を仕留めた。

――日馬富士を破って13戦全勝とし、翌日に初優勝がかかった夜は、眠れなかったと聞きました。

豪 自分では、緊張するタイプじゃないと思っていたんですけど、珍しく一睡もできませんでした。だから、14日目の朝は稽古場には下りずに、気持ちを集中させていました。(平幕・玉鷲を破って)優勝を決めた瞬間は、興奮状態というか、うれしいとか、そういう感覚もよく分からなくて……。

――優勝インタビューでの涙。“硬派”の大関の涙は初めて見ました。

豪 いや……。自分、泣いていましたか? 人前で泣くのはガマンしていたんですが、勝ち名乗りを受けて、花道を下がっていくときから、胸に込み上げてくるものはありましたね。ここに来るまで、つまり初優勝を果たすまで、いろいろな人に支えられているわけなんですね。特に、師匠(境川親方=元小結・両国)とおかみさんには、言葉で言い表せないほどの愛情をいただいていたので、「師匠とおかみさんの笑顔が見たい」という思いが強かったんです。だから、「少しは恩返しできたかな?」という気持ちですね。確かにメディアの人が言うように、カド番から全勝優勝とか、今回の優勝にはいろいろな記録はあると思うんですけど、自分としては、時間はかかったかもしれないけれど優勝できた。“優勝”の2文字がシンプルにうれしいんです。

――成績が振るわない時期もあっただけに、「悔しさがバネになった」という言葉にも共感しました。

豪 思い通りにいかない悔しさばかりでしたね。特に大関に上がってからは(ケガなど)つらいことの連続でしたから、周囲の人にも迷惑をかけましたし、この優勝で「少し報われたかな?」……と。自分では、そういう悔しさを引きずらないように、前向きに、前向きにという気持ちだけは持ち続けてきたつもりです。

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