TOKIO国分太一「16歳で付き人も経験」知られざる下積み時代の画像
TOKIO国分太一「16歳で付き人も経験」知られざる下積み時代の画像

 SMAPの解散決定、KAT-TUN田口淳之介が脱退およびグループの無期活動休止、TOKIO山口達也が離婚など、暗いニュースが続いた2016年のジャニーズ。だが一方で、10月にはTOKIO国分太一がパパに、11月29日にはV6長野博が女優の白石美帆とゴールインという、うれしいニュースもあった。

 パパになった国分は現在、平日朝に『白熱ライブ ビビット』(TBS系)、『国分太一のおさんぽジャパン』(フジテレビ系)という2本の帯番組に出演中だ。30歳を過ぎてすっかり花が開いたという感じだが、10代の頃は活動が低迷していたこともある。

 ジャニーズ事務所に入所したのは、13歳。中学1年生で光GENJIのバックダンサーになり、歌手デビュー前のSMAPにも参加していた。国分は、SMAPメンバーの誰かが学校行事などで不在のとき、V6坂本昌行とともにピンチヒッターを務め、雑誌に出たこともある。

 当時、光GENJIのバックダンサーとして結成された平家派のメンバーとなったが、平家派の活動は徐々になくなっていき、仕事が激減。あまりに仕事がなく、当時のJr.の間では「終わった」という言葉がはやったという。平家派のメンバーには他にも、後にTOKIOで一緒になる城島茂と山口達也や、V6の坂本、長野博、井ノ原快彦がいた。

 それぞれが進学や就職を考えるようになり、15歳になった国分も将来について考えるようになる。そんなときに結成されたのがTOKIOだった。当初のメンバーは国分、城島、松岡昌宏の三人だけで、ジャニーズのソロアイドルとして当時活躍していた中村繁之の主演ミュージカルに出演した。しかし、公演が終わるとまた仕事はなくなり、月に雑誌の仕事が1本だったこともある。

 その状況を見た事務所関係者から、中村の付き人になることを勧められた。16歳の国分は、それから20日間あまり中村について回り、台本を持ったり、朝起こしたり、付き人としての仕事をこなしながら、中村からさまざまなことを学んだ。スタッフからは「絶対役立つからな」と温かい言葉をかけられたそうだ。

 やがてTOKIOに山口が加入、続いて長瀬智也も入り、テレビなどでの仕事も増えていく。そして1994年、国分が20歳になったとき、ようやくTOKIOは『LOVE YOU ONLY』でCDデビューした。

 SMAP解散後、事務所の先輩グループとして後輩たちを引っ張っていくであろうTOKIO。来年でデビュー23年、現在に至るまでの道のりは平坦なものではなかったのだ。

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