自分が出すぎず、バランスを見てその場を回すことができるというのが、バラエティでのSMAP中居正広の強さだ。彼はSMAPにおいても、バラエティの司会でも、かつて熱中した野球での経験を生かしているといわれる。
中居は小学校3~5年生の3年間、1番サードでレギュラーを務めていた。小5のときに転校しても、野球は元のチームで続け、自転車で40分ほどかけて通っていたという。
合宿や炎天下の練習、逆に厳冬の練習などつらいことも多かったが、いつか絶対プロになれると思って頑張っていた。小6でキャプテンになり、3番を打つようになった。だが、夢はやはり「エースで4番」だった。チームにむちゃを言って4番ピッチャーをやったことがあるが、そのときの試合結果は「ボロクソ」だったそうだ。
そして、中居は「俺が4番でピッチャーだったら、チームが負けちゃう」「自分の役割は“エースの4番”ではないんだ」ということに気づく。そうして子どもながらに“引くこと”を学んだ中居は、チームのためにどうすべきかと考えるようになり、私利私欲がなくなったという。
その考えは、SMAP結成後にも役に立った。チームの中では、それぞれに別々の役割がある。中居も華やかで注目を集める「センターで歌いたい」という気持ちはあったが、自分は「歌ではないな」と思った。そこで自分の役割を考えたときに、しゃべることが得意だと分析し、今に至るそうだ。
大好きな野球だったが、小学校5年生頃からひじを壊し、プロ野球選手の夢を断念。手術をすれば治るといわれたものの、家庭の経済状況がそれを許さなかった。しかし、野球の道が断たれたからこそ、今の中居がある。運命とは分からないものだ。