娘が幼稚園に入って、幼稚園の餅つきだとかにも着物で参加して、“よし、もう辞められる”と思ったら、今度は息子が生まれた。息子だから一緒に土俵に上がれるんですよ。そしたら、奥さんは、息子を抱いて土俵入りするまではがんばってと。

 その都度、その都度で目標ができたんですよね。親父が肝硬変で入院したときは、日本の病院に入っていたんですが、保険がきかないから検査だけで60万円とかかかる。

 これは、引退どころではない。稼がなければと。当時は、高見盛の人気がすごくて、懸賞金は7、8本あったんですよ。もうこっちは必死だから、高見盛にはかなり稼がせてもらいましたよ(笑)。

 親方になった今、毎日がめちゃめちゃ楽しいですよ。ゴルフが好きなので、一人でふらりとイ・ボミさんを見に行ったり、ゴルフ誌で連載をもらって、プロの人に弟子入りしたりね。あとは、何より家族と一緒にいる時間が増えたことが嬉しい。

 最初の子どもが生まれたのが、30歳を過ぎてから。モンゴルでは、40歳で孫がいるのが当たり前なので、かなり遅いほうですよ。それに、元々子どもが好きなこともあって、自分の子どもはめちゃめちゃかわいいですよ。携帯に子どもたちの写真が2000枚はありますから(笑)。

 親方としては、今は部屋付きの親方ですが、やっぱり自分の部屋を持ちたいですね。それで、みんなから愛される力士を育ててみたい。横綱、大関を育てるとか大きなことは言えませんがね。俺自身もたくさんの人に応援してもらいましたから、やるほうにしたら、その声援が何より大事だと思うんですよ。

撮影/弦巻 勝

旭天鵬 きょくてんほう
1974年9月13日、モンゴル生まれ。本名、ニャムジャム・ツェベクニャム。92年に来日し、大島部屋に入門。史上初のモンゴル出身力士となる。96年に新十両、98年に新入幕、03年には新関脇昇進。12年に、史上最年長となる37歳8か月で、幕内優勝を果たす。14年、40歳で史上最年長三賞となる敢闘賞を受賞。“角界のレジェンド”と呼ばれるように。15年に引退し、年寄大島を襲名。現在は親方として後進の育成にあたる。

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