追悼・松方弘樹、昭和大スターの「漢の素顔」

 1月21日、俳優の松方弘樹さんが脳リンパ腫のため亡くなった。享年74。「入院したのは昨年2月。腫瘍が脳幹に近かったため、摘出手術も難しく、抗がん剤と放射線治療で病気と闘っていました。入院当初は仕事に復帰する気満々で、“退院したら、沖縄の与那国島でリハビリをしたい”と周囲の人たちに話していたそうです」(映画関係者)

 しかし、秋に3度目の脳梗塞を発症し、抗がん剤が投与できなくなると、次第に意識が混濁するようになってきたという。「先輩であり大親友である梅宮辰夫さんが12月に、お見舞いに訪れると、会話もままならない状況で、70キロはあった体重も、40キロ近くまで激減していたそうです」(前同)

 邦画に詳しい、昭和文化研究家のミゾロギ・ダイスケ氏が語る。「松方さんの出演作で、いちばん人口に膾炙(かいしゃ)した作品は、故・菅原文太さん主演の『仁義なき戦い』シリーズでしょう。立ち寄ったオモチャ屋で、あっけなく殺されてしまう山守組の若頭の役は、高い評価を受けました。実は、企画の段階では、松方さんと菅原さんの配役は逆だったそうです」

 その理由は諸説あるが、「主役よりも、より高度な演技を要求される脇役のほうに、松方さんがふさわしいという判断になったんじゃないでしょうか」(前同)

 ちなみに、このとき、松方さんはまだ31歳だった。「たとえば妻夫木聡さんのような、今時の30代の役者さんに、あんな貫禄が出せるのか。そう考えると、やはり松方さんは偉大な役者さんだったと言わざるをえません」(同)

 2年前の5月に、本誌のインタビューに登場した際は、名優・近衛十四郎の息子として、鳴り物入りで17歳で映画デビューした当時のことを、こう振り返ってくれた。「僕は親の七光り族だったから、東映ニューフェイスの出演料が8000円のところ、10万円もらって、いきなり主演でした(笑)。周囲に悪い先輩がたくさんいて、“お前、財布持ってこい”って飲みに連れて行かれるわけですよ。無理やり飲まされて、お銚子1本でベロベロでしたね(笑)」

 先輩たちの猛特訓(?)が功を奏したのか、やがて松方さんは、酒に関する逸話には事欠かない存在に。「年間2億円は飲んでいた」という伝説もあるくらいだ。

「最高記録は、一人でブランデー5本の日本酒一升。このときは、さすがに歩けませんでした(笑)。芸能界で酒の飲み比べで負けたことはない。千代の富士、北勝海にも負けなかった。横綱連中はみんな逃げてった(笑)。ただ、“敵討ちだ”って挑んできた天龍源一郎さんだけは別。あの人はバケモノです(笑)」

 趣味のマグロ釣りは、プロ顔負けで、一昨年5月には自己最高となる361キロの大物を上げたことも。前述の本誌インタビューの際も、話題がマグロ釣りになると、少年のように目を輝かせて語っている。

「一応僕は、日本中で松方弘樹と名前が通ってるじゃないですか。だから、マグロの名人に“船に乗せてよ”ってお願いすると、乗せてくれるんです。普通の人なら断られますよ。だって技術を盗まれちゃうから。でも僕は、そういう名人たちの仕掛けなど、全部見て、頭に入ってます(笑)」

 研鑽を積んだ結果、晩年には、「釣りの大会をやったら、漁師さんのほうから聞きにきますよ。僕、釣りの世界では、神様みたいなもんなんです(笑)」という腕前になったとか。

 なお、これまで役者を続けてこられた理由は、「美味しい物食って、洋モク吸って、洋酒飲んで、外車に乗って、いい家に住みたい。それぐらいですよ。モチベーションは」

 大スターなのに、本誌記者にも気さくで謙虚に接してくれる人だった。心から冥福を祈りたい。

本日の新着記事を読む

編集部発「今日はこの番組がオススメ!」→→10万円でできるかな