岡田准一「V6でデビュー」できたのは、井ノ原快彦のおかげ?の画像
岡田准一「V6でデビュー」できたのは、井ノ原快彦のおかげ?の画像

 スターになるには、本人の素質はもちろん、運というのも大切な要素だ。たくさんの少年たちがしのぎを削るジャニーズでは、整った容姿を持っていて歌や踊りがうまくても、下積み生活が10年以上の苦労人もいれば、入所した年に一気にCDデビューしてしまうケースもある。そこには、運が大きくかかわっているのかもしれない。

 アイドルとしてだけでなく、今や実力派俳優としても認められ、タレントとしてまさに順風満帆なV6岡田准一は、まさに運を味方にした一人だ。岡田は、まさかというタイミングでチャンスを手に入れている。

 地元大阪の中学校に通っていた1995年、岡田は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の企画「ジャニーズ予備校」でグランプリを獲得。その数か月後、V6メンバーのオーディションが開かれ、岡田が参加している。坂本昌行、長野博、井ノ原快彦、そして当時ジャニーズJr.の2トップだった森田剛、三宅健はすでにV6のメンバーに決定していて、これは最後の一人を選ぶオーディションだった。

 V6は「バレーボールワールドカップ」のイメージキャラクターを務めることが決まっており、デビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』がタイアップ曲として決定。V6のメンバーには、イメージキャラクターとしてバレーボールの腕前も重視されていたという。

 V6最後の一人を決めるオーディション会場は、バレーボールの練習場。会場に集まっていた東京のジャニーズJr.たちは、オーディションが始まる前、皆ふざけ合っていた。しかし、関西から1人で上京したばかりの岡田は、知り合いも話し相手もおらず、ポツンとしていたという。それを見るに見かねた井ノ原は、自分たちとバレーボールをして遊ぼうと声をかけ、輪に加えたそうだ。

 すると、そこへやって来たのが、ジャニー喜多川社長だった。先輩たちに混ざってバレーをしていた岡田を見て、「まじめにやってるの、あいつだけじゃないの!」と指摘。そして、最終的に岡田がV6最後のメンバーに決定したのだった。

 V6の当初は、先輩であるメンバーたちの中に放り込まれて「どうしていいのか分からない」と、とまどいも多かったというが、今やV6のメンバーとして立派に活躍する岡田准一。彼の今の活躍は、オーディション会場でのバレーボールから始まったと言っても過言ではない。

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