まずは、稀勢の里の先代師匠・故鳴戸親方の師匠にあたる第45代横綱・初代若乃花の発言から。ちなみに前出の花田虎上は、初代若乃花の甥にあたる。先日、稀勢の里は明治神宮奉納土俵入りを行ったが、その際に使った化粧まわしは“土俵の鬼”と呼ばれた初代若乃花のものだった。

「若くして横綱になる人もいるし、私みたいに年増になってから横綱になる人もいるけど、体の小さい力士っていうのは、ちょっとつまずいてくるとガタガタッといってしまう面がある。だから、悲しいけど、気力で持っていかなければならないんです」

“遅咲き”の29歳で横綱に昇進した戦後最軽量(身長179センチ、体重107キロ)の初代若乃花は、ライバル栃錦と名勝負を重ね、“栃若時代”を築いたが、小兵ゆえの苦労も多かった。「こんちくしょう。こういう気持ちだけ。これしかないんですよ。相撲だけじゃない、なんの商売でも同じだと思います。ただし、横綱だから、あまりにもそういう気持ちを表情に表したり、言葉に表しちゃあいけないんです。自分の心の中だけに思っていればいいものだからね」

 ちなみに、最年長で横綱昇進を果たしたのは、32歳2か月で昇進した第53代横綱・琴櫻である。72年九州、73年初場所の連続優勝で昇進したが、それ以前は、大関在位30場所のうち、2ケタ勝利は半分以下の13場所。年齢からしても引退間近とみられていただけに、昇進の際は“うば桜の狂い咲き”などと揶揄された。その琴櫻は、横綱について次のように語っている。

「横綱という存在は角界の頂点であるし、神様にも近いものじゃないかと、思っているんです。だから、誰からも尊敬される存在でなければならないし、絶対に間違ったことはしちゃいかんのです」

 大きな頭でぶちかまし、強烈な突き押しで相手を圧倒することから、ついたニックネームは“猛牛”。「親父とお袋は、現役時代のわしを“子ども”じゃなくて、“神さん”だと思っていたくらいなんですよ。横綱時代は、場所が始まれば毎朝早く、わしの銅像にご飯を作って持っていって、真っ先にご飯をあげてから自分たちが食事をしていたそうです。そういう両親をわしはとても尊敬していたし、この両親がいたからこそ、横綱にもなれた。そして、その後も道を踏み外さないで生きてこられた」

 横綱在位9場所目の直前に、引退を表明。引退後は佐渡ヶ嶽部屋を引き継ぎ、琴風、琴欧洲、琴光喜ら3大関を育てている。

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