この見舞いに関して、こんな秘話があった。「一時、容体が悪化し、面会謝絶となった松方さんの様子がどうしても知りたかった梅宮さんは、自ら松方さんと同じ東大病院に入院。車椅子に乗って病棟内の松方さんの病室を探し出し、わずかの時間ながら面会を果たしたそうです。梅宮さんも一時は余命宣告を受け、とても無理のできる状態ではなかったといいますから、まさに、決死の覚悟で盟友である松方さんの元へと向かったんでしょう。“浩樹に会いてぇ”。その一心だったと聞いています」(スポーツ紙記者)

 梅宮は松方さんが亡くなって3日後の24日に会見を開き、「しょっちゅう気になる存在。弟のようだった。寂しいです。悲しいです」とボロボロ涙を流しながら、「(松方さんは)昭和の映画スターの最後の生き残り。今ね、あいつみたいな生き方したら、すぐ潰される。今の芸能人は、“すみません。僕が間違っていました”という態度ですけど、あいつは“何が悪いんだ”と一歩も引かなかった。それを貫き通した。大したヤツだと思ってる」と、松方さんの生き方を振り返った。

 前出の城下氏は、「当初、役者になることに消極的だった松方さんでしたが、自分の知らないところで、主演デビュー作が決まっていたそうです。その際、映画関係者に“薬とピストルだけはやめてくれ”と言われたそうで、それだけは頑なに守ってきたんですが、それ以外のことは、とても自由でしたね」と振り返る。

「仁科亜季子さんとの離婚会見の際も、前日から我々と想定問答を準備していましたが、本番になったら持ち前のサービス精神もあって、予定外のことを話し、大批判を受けてしまったこともありましたね。小さなことにこだわらないスケールの大きさは、まさに昭和の映画スターのイメージそのものでした」(前同)

 梅宮は会見で、そんな最愛の“弟”の最期を見送ったときのことを語った。「(火葬場で)手を合わせていると、“天国にも海があって、カジグロっていうカジキとマグロのあいのこがいる。それを釣りに来い”と言われた気がした。“俺もすぐに行くよ”って言いました」

 そして、だが、こう続けた。「生き延びた分、頑張ってあいつの何年か分でも生きてやろうと思います」 弟を見送った兄の声には、強い力が込められていた

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