“爆笑王”として知られる初代林家三平(1925~1980)は、4人の子どもをのこした。長女・海老名美どり、次女・泰葉、長男・九代目林家正蔵、次男・二代目林家三平。錚々たる芸能一家の中でも、父の才能を最も色濃く受け継いだ、と評されるのが泰葉だ。
88年に春風亭小朝と結婚し、07年に離婚。それから雌伏の時を経て表舞台に帰ってきた泰葉が、父の思い出、日本の芸能界、さらに弟が出演するあの国民的番組まで語りまくる!
「あの節は、ほんとにお騒がせいたしました。今日はお手柔らかに……」
――インタビュー場所に現れた泰葉の髪の色は、鮮やかな金色だった。07年11月、19年連れ添った春風亭小朝と離婚した泰葉から飛び出した“金髪豚野郎”発言は、日本芸能史に今も燦然と輝いている。
「あたしも、あれは流行語大賞獲れるんじゃないかと思ってました。愛され続けて、あんまりみんなに言われるもんだから、自分でやっちゃえ、と。今日は“金髪豚娘”でお願いします」
――そう笑う彼女は現在、シンガーソングライター、タレント、プロデューサー、そして会社経営者と多彩な肩書を持つ。
「すごく忙しいですけど、双極性障害をやりましたんで、お医者さんに言われて、生活はいたって規則正しいです。朝7時に起きて、夜、寝るのはだいたい酔っ払って23時。フランク・シナトラを聴きながら飲むんです。ビールとワインと……でも、シャンパンが一番好き。なぜかって言うと、父が林家シャンパーン。ここ、(笑)って、入れておいてくださいね。弟も林家シャンパーン(笑)ですから、シャンパンが一番好きです」
――父・初代林家三平は、子どもたちに英才教育を施した。
「教育が非常に厳しかったんです。芸に関しては、3歳くらいから歌、ピアノ、バレエ、日舞、三味線、長唄を習い始めたんです。幼稚園の頃から。それで、うちはお客様が多くて。パパが本当の超一流の方と銀座のクラブ活動をして、三平師匠の家に寄ろうってことで、当時いらしてたのが、石原裕次郎さん、サントリーの会長、それから、ソニーの会長でした。
そうしたお客様が遊びに来てくれると、父が“歌いなさい、何か披露しなさい、日舞でもいいから”って。私、ちっちゃい頃から稽古の鬼で腕には覚えありなんですけど、時間が23時とかで眠い。起こされて、やだなぁとか思って」