日本人の感覚からすれば、左派系の『共に民主党』の安氏が、保守派と組むなどありうるのか……と、いぶかしむ向きもあるだろう。だが、「左派色の強い文氏を嫌う者が、党内にもかなりいるんです。だから、世論の風向き次第では、党内の中道寄りの安氏を担ぎ、与党『自由韓国党』との連携の可能性もあるでしょうね」(在韓国の消息筋)

 文氏が党内で嫌われるのも無理はない。実際、過去を振り返っても、「左派」というのは穏やかな表現で、文在寅氏は強烈な政治理念の持ち主のようだ。特に、「ウルトラ」のつく反日ぶりに関するエピソードには事欠かない。まずは、文氏の経歴を振り返っておこう。

 大学在学中の1975年、当時の朴正煕(罷免された朴槿恵氏の父)政権に反対する民主化運動に関わり逮捕、収監されるも大学は卒業。司法試験に合格し、弁護士に。そして同じく弁護士だった、後に大統領になる盧武鉉氏と82年、合同法律事務所を開設。以降、時の全斗煥政権に対する民主化運動に取り組む。

 02年12月の大統領選で盧氏が当選する(~08年)や、青瓦台(大統領府)民政主席を皮切りに、市民社会主席、大統領秘書室長などを歴任し、盧氏の側近として大活躍。12年4月、国会議員に(民主党)。同年12月、朴前大統領と大統領選を争い、僅差で敗れている。

「盧政権時代、“かつての植民地時代に日本に協力した反民族行為者の財産を、たとえ子孫からでも韓国政府が没収する特別法”が制定されました。その取りまとめ役の中心が文氏でした。また、12年の大統領選に出馬した際、日本の戦犯企業を、韓国政府の入札から排除する公約を掲げてもいました」(前出の井野氏)

 さらに16年7月、日本と領有を争う竹島に上陸。芳名録に「東海のわが領土」と書き込み、我が国の外務省から抗議されている。

 ここで気になるのが、現在、釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像(少女像)の問題だ。この設置は「日韓慰安婦合意に反する」として、今年1月、安倍政権は駐韓国大使を帰国させた。2か月経った現在も、解決の糸口さえ見えない異常事態に陥っているが、その件に関して、文氏はどういう見解なのか。

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