石川梵(写真家)「人間のために、自然があるわけじゃない」祈りを写し取る人間力の画像
石川梵(写真家)「人間のために、自然があるわけじゃない」祈りを写し取る人間力の画像

 カメラマンとして30年以上、写真を撮ってきましたが、一貫してテーマは祈りなんです。

 まだ、駆け出しだった23歳のときに、アフガニスタンに取材に行ったんですが、当時は、ソ連に侵攻されていて戦争状態。アフガンの一部の人たちがゲリラ戦で対抗していて、彼らに密着したんです。

 戦場まで向かう道は、地雷原。危ないからって、10代の青年が僕の前を歩いて、地雷避けになってくれるんですよ。ゲリラ側は、ソ連が我々の国でこんなにひどいことをやっているんだって世界に知ってもらいたいから、ジャーナリストを大事するんでしょうけど、自分の命を犠牲にしてまで守るってすごいじゃないですか。

 彼らを突き動かしているものは何かっていったら、信仰心なんですよ。何か信じるものがなければ、できないと思うんです。彼らは戦場でも、1日5回、お祈りしているし、ラマダンの時期は、戦場でも何も食べないんです。彼らを知るには、信仰を知らなくてはいけない。でも、人の信仰を勉強する前に、自分の国の信仰を知ろうと思って、伊勢神宮の写真を撮るようになったんです。

 今の日本で信仰心を持っている人って少ない。それは、自然が周りにないから。自然と人間を繋ぐものが、信仰や祈りだと思うんです。

 僕は、インドネシアで鯨をモリ一本で獲って生活をしている村を取材していたんです。鯨にモリが刺さると、船ごと水中に引っ張られて、死と隣合わせ。でも、鯨を獲ると、2か月は村民みんなが食っていける。だから、危険を顧みずに、海に出ていくわけです。そんな生活をしていたら、神様を信じますよ。厳しいことも、楽しいことも全部自然が支配しているんですから。彼らは、鯨の頭には魂が宿っていると信じて、頭だけ海に戻すんです。

 日本でも、東日本大震災で自然災害の脅威っていうものを、まざまざと見せつけられた。僕も震災翌日には、ヘリをチャーターして現地に向かったんですが、被災地で、綺麗な朝日が昇っていたのを見たんですよ。でも、周りは水浸しで、たくさんの方が亡くなっている。綺麗に思う自分が腹立たしかったけど、気が付いたんです。人間のために、自然があるわけじゃないってことを。

 そんな経験もあって、ネパールで大地震が起こったときには、動かずにはいられなかった。地震発生から3日後には現地に着きましたね。日本の救援隊と同じタイミングでした。被災地の取材って、スピード勝負なんですよ。1日、2日経つと、死臭が消えている。生々しさがどんどん消えていって、人の様子も変わっていく。だから、地震後すぐに現地に飛んだんです。

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