死去した演技派俳優の“腕っぷし”の強さは業界内で有名だったという。俳優仲間や関係者の証言を聞くと……。
また一人、昭和の名優がこの世を去った。3月14日、俳優の渡瀬恒彦さんが多臓器不全のため、都内の病院で亡くなったのだ。享年72。
『仁義なき戦い』シリーズや『事件』『天城越え』などで日本映画の黄金期を支え、ドラマでは『十津川警部』(TBS系)、『おみやさん』『警視庁捜査一課9係』(ともにテレビ朝日系)といった人気シリーズを抱え、幅広い世代から愛されていたスターの死に、日本中が悲しみにくれた。
映画評論家の秋本鉄次氏は、「最近のドラマでの人情味溢れる円熟の演技も素晴らしかったですが、やはり東映の映画で見せてくれた、荒々しく凶暴性を感じさせる演技がとても印象に残っています」と、在りし日の俳優・渡瀬を次のように語る。
「私が好きなのは、映画『鉄砲玉の美学』という作品で演じたチンピラ役。粋がるだけ粋がって、捨て身で暴れた末に無様に死んでいく、かっこ悪い姿が、最高にかっこ良かったですね。新たなアウトロー像を作り上げた、映画史に残る名優であることは間違いありません」
秋本氏が言うように、アウトロー映画のイメージが強い渡瀬さんだが、実は、早稲田大学法学部に在籍(後に除籍)したインテリで、俳優になる前は、電通PRセンター(当時)勤務のエリートサラリーマンだった。「兄の渡哲也(75)が日活の青春スターとして活躍中でしたが、渡瀬は芸能界にあまり関心がありませんでした」(映画雑誌記者)
だが、東映にスカウトされ、サラリーマン生活にピリオドを打ち、1970年に映画『殺し屋人別帳』の主役でデビューする。「命を恐れぬクソ度胸から、作品のアクションシーンで代役を立てることを好まず、自分自身で演じてきたことも有名です」(前同)
76年の『狂った野獣』では、猛スピードで走るバイクの後部座席からバスに乗り移るアクションを演じ、同年の『暴走パニック 大激突』での200台にも及ぶ車を使っての手に汗握るカーチェイスシーンでも、ハンドルを握ったのは渡瀬自身だったという。「2002年から始まる『十津川警部』シリーズの第24弾『伊豆の海に消えた女』でも、トラックの前に回り込んで車をスピンさせて止まるというカーアクションを、当時50代後半の渡瀬が自らの運転でこなしたといいますから、驚くしかありませんよ」(同)