14年に亡くなった、関西の大物歌手・やしきたかじんも、多くの太っ腹伝説を残すゴーカイな男だった。「ラーメンを食べても、たこ焼きを買っても、支払いは1万円札でおつりを受け取らないというのは、関西では有名な話です。無類のワイン好きで、クラブに行くと、高級ワインをポンポン空け、“オーパス・ワン(クラブでは15万円はくだらない)2本ぐらいうがいのようなもの”と言い、仲間と1本100万円というワインを飲んで、大いに盛り上がるのが好きでしたね」(関西のテレビ関係者)

 死後、遺言によって遺産のうちから2億円を大阪市に寄付。最後の最後まで、ゴーカイだった。

 最後は、石原裕次郎率いる石原軍団のエピソード。「『西部警察』をやっていた時期の景気の良さは、すさまじく、ロケが続いてスタッフの疲労がたまってくると、旅館の大広間に全員を集め、裕次郎さんが、お小遣いとして1万円札で作った紙飛行機を飛ばしていた。ただ、あまりに品がないということで、その後は封筒に入れての手渡しになったそうですが、スタッフの数が2~300人でしたから、大変な額になったはずです」(ワイドショー関係者)

 さらに、前出の城下氏は、こんなエピソードを披露してくれた。裕次郎さんが亡くなったあと、渡哲也(75)が社長の時代の話だ。「真冬のロケが続いたある日、スタッフの一人が、“石焼き芋食いてえな”とつぶやいたのが、人づてに渡さんの耳に入ったそうです。すると渡さんは“新車を用意しろ”と、石焼き芋移動販売車を買って、現場に届けさせたそうです」

 もちろん、スタッフたちは大喜びで、ほくほくの石焼き芋を楽しんだという。「スタッフのやる気を引き出すとともに、それが伝説となって軍団の名声を高める。一見、ただ豪華に見えて、実は、お金の使い方が、よくわかっていらしたんですよね」(城下氏)

 彼らは、まさしく我々に夢を見せてくれていたのである。

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