――昇進を機に、四股名を「照ノ富士」に改めました。

照 昭和の横綱「照国」関と、ウチの師匠の「旭富士」関からいただいたものです。おかげさまで、次の年の春場所で幕内に上がることができました。ただ、その年の初場所(1月)で初土俵を踏んだ高校の後輩・逸ノ城が、夏場所(5月)で新十両、秋場所(9月)には幕内に昇進して、一気に「逸ノ城フィーバー」が起こるんです。それと、遠藤ね。逸ノ城より1場所遅れで日大から入門してきて、同じ場所で新入幕ですよ!「相撲界の話題を全部、この2人に持って行かれるんじゃないか」というくらいの騒ぎになったわけです。

――悔しかった?

照 そんな思いはなかったですよ。かわいい後輩ですから(笑)。でも、世間が逸ノ城(平成5年生まれ)と遠藤(平成2年生まれ)ブームのときから、「この力士は強いな」と思っていたのが、高安なんです。平成生まれの初の関取でもある高安(平成3年生まれ)は、自分が十両に上がって以来、ずっと稽古を一緒にしてきた間柄です。鳴戸部屋(現・田子ノ浦部屋)は稽古が厳しいことで知られていましたが、春場所では12勝して、今場所は大関獲りにリーチがかかっています。平成生まれの関取の中で、誰の地位が上がっているか。今を見ると、分かりますよね。つまり、稽古をした力士なんです。

――なるほど……。大関も地道に稽古を積んだ結果、27年春場所、新三役(関脇)に昇進。その場所は初日から7連勝と突っ走ります。

照 安美錦関も7連勝していたんですよ。いいときも悪いときも、いろいろアドバイスをもらっていたので、「このまま一緒に勝っていければいいな」と思っていましたが、8日目、安美関は嘉風関から初黒星、自分も稀勢の里関に負けてしまった。翌朝の稽古場では「安美錦関が負けたから、俺も負けちゃいました。兄弟子のことはまだ越せないですね」なんて冗談を言い合っていたんです。

 ところが、10日目の取組で安美関が右ひざをケガして、そのまま病院に運ばれて、翌日から休場。「(安美錦関のためにも)負けられない!」と思いましたね。その思いで戦って、13日目、横綱・白鵬関に初めて勝つことができたんです。この場所、13勝を挙げることができたのも、安美関からパワーをもらったおかげじゃないかと思っています。

――そして、翌場所は12勝3敗で初優勝し、一気に大関に昇進します。

照 師匠、兄弟子たちに稽古をつけてもらったおかげです。逸ノ城、遠藤の陰に隠れていたのも良かったのかな(笑)?その後「一気に上(横綱)を狙う」と思っていただけに、昇進した場所で(番付上、格下の)豪栄道関に負けた一番はものすごく悔しかったし、忘れられない相撲です。それと、さっき話に出た、翌場所の右ひざを負傷した稀勢の里戦も。そう考えると、稀勢の里関とは、いろいろな因縁があるものですね。

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