正面の左が「東」と決まっているのは、平安時代の相撲節会(すまいのせちえ)で力士が左右の近衛府に分類され、それぞれ左相撲(左方)、右相撲(右方)と呼ばれていたことにちなんでいるという。右大臣より左大臣の地位が上であるように、現在の相撲でも「左(東)」が「右(西)」より上位とされる。

「相撲節会では、大関のことを最手(ほて)と呼び、次に位置する者を最手脇(ほてわき)と呼びました。やがて取組の相手を関所に見立て、ことごとく破ったとき、関を攻略したという意味で(十両以上の)力士を“関取”と呼ぶようになりました。そのうち、関の字に大の字をつけて、大関という最高位(江戸時代)を表す言葉が生まれたんです」(前出の長山氏)

「関脇」は「大関」の脇(次)という意味。また、その日最後の取組を“結びの一番”というが、大関が「大結」とするなら、その前を取る関脇は「中結」。そこから三役の「小結」の名称が生まれたという説もある。

■力士も知らない! 立ち合いの秘密

 立ち合いも、これまた相撲の世界独特の不思議なルールだ。「野球ならプレイボール、柔道なら始めという主審の声で試合が始まりますが、相撲では、行司という主審がいるにもかかわらず、対戦する2人が呼吸を合わせ、自主的に始めなければなりません」(前同)

 つまり、2人のタイミングが合うまで、極端な言い方をすると、何時間でも立ち合いを行うというのが、もともとの相撲のルールだったという。「相撲節会では、今のプロレスのようにグルグル回って睨み合っていました。江戸時代に土俵が生まれると、次第に手をつくようになりましたが、呼吸が合うまで何回仕切ってもよかったんです」(同)

 片方が突っかけようとしても、息が合わなければ「待った!」ができる。これまた、他の格闘技では考えられない相撲独特のルールだ。当時は仕切り線もなく、仕切りのたびに力士が前に出てきて、最後は頭と頭をつけ合うようになったという。そうなると、ますます立ち上がりにくくなり、「待った」を繰り返す。結果、どういうことになったのかというと、「明治天皇の天覧相撲の取組で、“待った”を計54回、立ち合うまでに1時間37分をかけた例があったといいます」(前出の髙橋氏)

 しかし、その立ち合いでは不都合が生じるようになった。昭和3年(1928年)に相撲のラジオ放送が始まると、放送時間内にすべての取組を終わらせる必要が出てきたからだ。そこで生まれたのが制限時間。NHKのアナウンサーが「いよいよ制限時間いっぱいとなりました……」という例のアレだ。長山氏が、こう続ける。

「ただし、4分という制限時間内なら、いつ立ってもいいことになっているんです。ところが、ファンのみならず、そういうルールがあることを知らない力士がいたことに驚かされたことがあります」

 横綱・白鵬が63連勝を成し遂げた平成22年(2010年)のこと。ある力士が支度部屋での囲み取材が終わると、長山氏に近づいて来て、こうささやいたという。「明日は横綱(白鵬)戦だけど、どう行ったらいいと思う?」

 そこで長山氏は「1回目の仕切りで突っかけたら(立ったら)どう?」と助言した。すると、その力士は、「えっ、仕切りって、制限時間内に立ってもいいの?」と驚きの表情を浮かべていたという。長山氏が続ける。

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