「その力士が1回目から立つ気なのを知っていましたから、支度部屋のテレビで注目して見ていましたよ。確かに、その力士は1回目から立つ気満々で、白鵬もそれが分かったんだと思います。ところが、残念なことに白鵬は受けなかった。でもね、どの仕切りも緊張感にあふれ、見ていて面白かった。立ち合いというのは本来、こうあるべきなんですよ。結局、制限時間いっぱいの立ち合いになりましたが、白鵬はやや動揺したようで、相撲がいつになくバタついていました。結果、白鵬は左からの上手投げで勝つんですが、負けた力士が支度部屋に戻り、いかにも残念そうに“惜しかった……”と、こぼしていました」

 それはそうだ。白鵬の連勝を止める大金星をあげたら、相撲ファンの記憶に残る力士となっただろう。

■実はテキトー! 決まり手の真実

 彼ら力士たちは、金星はもちろん、一つでも番付を上げようと日頃の稽古で精進するとともに、技を磨いている。そこで最後は、技についての意外な話をお伝えしよう。

 よく「四十八手」と呼ばれるが、これはただ数が多いことを意味する言葉で、実際に相撲の決まり手が48あるわけではない。それどころか、江戸時代には行司の口伝を含めると300にも達したという。「とはいえ、昭和前半までは“相撲の決まり手は四十八手”というのが建前でした。それなのに、勝負がついた後は、四十八手にとらわれない決まり手を場内で発表。見解の分かれる技が決まると、各新聞がそれぞれ勝手に決まり手を決め、各紙バラバラに掲載していたんです」(前同)

 それではいけないと、昭和30年(1955年)5月に決まり手を整理、統合し、68手と制定。その後、昭和35年(1960年)に70手に改定され、2001年に82手にさらに改定された。それだけ決まり手を制定すると、一度も使われない技が出てくる一方、逆に決まり手にない技も登場する。

「その場合、実際の技を決まり手に合わすようになりました。たとえば、“技のデパートモンゴル支店”と呼ばれた旭鷲山が平成9年(1997年)の名古屋場所で、浜ノ嶋相手に、右手首をつかんでプロレスのハンマー投げのように外側に捻って倒す技を繰り出したんです」(同)

 決まり手は「腕(かいな)捻り」と発表されたが、実際にはハンマー投げのように振るわけだから、まるで逆。“腕回し”と言ってもいい技だったという。「旭鷲山はモンゴル相撲でいう“ゴッタダ”という技だったと言い、新しい決まり手にしてほしいと支度部屋で訴えていました。82手以外の技が出た場合、協会制定の技になくても、新しい決まり手にするという柔軟性があってもいいと思いますよ」(同)

 奇抜な「居反り」を得意とする宇良(木瀬部屋)が幕内入りを果たし、技の面でも注目される大相撲。今の人気に満足することなく、相撲協会には、時代に対応した「国技」を目指してもらいたいところだ。

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