嵐・二宮和也「泣くほどしんどかった」撮影の思い出の画像
嵐・二宮和也「泣くほどしんどかった」撮影の思い出の画像

 嵐の二宮和也はこれまで多くのドラマや映画に出演。2006年に公開されたクリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』では、ハリウッドデビューも果たした。ジャニーズの中でも実力派の俳優として知られ、15年公開の出演作『母と暮せば』で、「第39回日本アカデミー賞」の最優秀主演男優賞を受賞している。

 そんな二宮が初めてドラマに出演したのは、14歳のとき。初の出演ドラマは、1998年放送の『松本清張原作「天城越え」』(TBS系)で、二宮はいきなり主役の少年を演じることになった。

 二宮は、当時のことを5月21日放送の『ニノさん』(日本テレビ系)で語っている。このドラマは、二宮にとって非常に「しんどい」経験として記憶に残っているという。特につらかったのが「わらじをずっとはいてるから、親指と人差し指の間から血が出ちゃって痛くて。どうしようか、帰ろうか。でもこのままトンネルをくぐって新しい世界に行こうかって悩むシーン」の撮影だった。このシーンにはなかなか監督のOKが出ず、なんと3日間もかかったという。しかも、撮影は朝の8時頃から日が沈む午後5時ぐらいまで行われた。

 番組にゲスト出演していた坂上忍に「そういうときどうすんの? 気持ち。なんでOK出ないのか、分からなくならない?」と聞かれた二宮は、「でも、言わないんですよ、監督も」と返答。3日間、何度も何度も同じシーンを繰り返し演じさせられたと語った。さらに二宮の撮影中、ヒロイン役だった田中美佐子が車の中でずっと待機しており、二宮は監督から「(おまえが)できなかったんだから、おまえが行って謝ってこい!」と言われ、田中に「申し訳ないんですけど、明日になります、今日の撮影。すみません」と謝罪に行ったそうだ。二宮は当時を振り返り「放棄することも恐怖だし、続けんのも恐怖だし」「あれはしんどかったなぁ。しんどかった」と、しみじみ語っていた。

 このドラマで二宮と共演した柳沢慎吾も、当時のことをたびたびテレビで話している。冬なのに夏の場面の撮影があり、セリフを言うときに息が白くならないよう、二宮は本番直前まで氷を口に含んでいたそうだ。「(撮影中それを)何回もやってんの、14歳の男の子が」と、柳沢は見ていてかわいそうになったという。将来に不安を覚えた二宮が「これからどうなるか分かんないし」「やめようと思って」と泣いてしまったこともあり、柳沢は「なに言ってんだよ、ニノ!」「おまえの時代がくるよ!」と、田中とともに励ましたそうだ。

 そして、初ドラマ出演の翌年、二宮和也は嵐としてデビュー。柳沢は、テレビで歌う二宮の姿を見ながら「ニノ、おめでとう」と、一人で祝杯を挙げたらしい。14歳で演技の厳しさを学んだ二宮。俳優としての今があるのは、当時の苦労があってこそだろう。

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