後で思い出したときに、「あぁ、何かが変わったのは、新しく何かが動き出したのは、あそこだったなぁ」と気がつくターニングポイントがありますよね。僕にとっては、初めてG1勝利をプレゼントしてくれた1988年の菊花賞馬、スーパークリークとの出逢いがそうでした。もしも、あのとき、彼と巡り合っていなかったら……今の僕はいなかったかもしれません。

 彼と初めてコンビを組んだのは、88年の春、3月19日に行われたオープン特別「すみれ賞」です。「ちょっと脚元を気にしているみたいだから、様子を見ながら乗ってほしい」 最後の直線を迎えるまでは、伊藤修司先生の言葉を守り、とにかく、大事に乗ることを心がけていました。

 ところが、です。最後の直線を向いて軽く仕掛けると、彼は驚くような反応を見せたのです。本当に軽く仕掛けただけなのに、いきなりトップスピードに。えっ!? と思っている間に、他馬をゴボウ抜きにしてしまいました。

――ウソやろう? なんなんや、この馬は!? ムチを入れた瞬間、全身にザッと鳥肌が立つほどの衝撃を受けたのは、このときが初めてでした。残念ながら、この後、スーパークリークは調教中に骨折してしまい、最大の目標である日本ダービーには参戦できませんでしたが、この年の夏、僕はずっとクリークのことを気にしていたような気がします。

 3歳馬にとって、夏は最も大事な時期です。「この馬なら!」と思った馬が、ひと夏を過ごしてまったく走らなくなったり、その逆で、精神的にも肉体的にも急激に逞しくなったり。中には、5歳を迎えてもまだ強くなっているキタサンブラックという怪物もいますが、彼が揺るぎない芯を、その馬体に宿したのも、やっぱり、この3歳夏の時期でした。

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