石井裕也(映画監督)「映画を撮っているときに、生きているなって実感できるんです」映画で抵抗する人間力

 こんなことを言うと、恰好つけすぎかもしれないですが、生きることへの抵抗手段が、僕にとっては映画を撮ることだと思うんです。生きていくなかで、当然、悩みもあるし、不満もある。僕は、母親が7歳のときに死んでいるので、割と、生きるとか死ぬって問題は、小さい頃から抱えていました。それを乗り越えていくというか、それでも生きていくところにもっていかないといけないわけじゃないですか。

 で、どうするかっていうと、体を鍛える人もいるだろうし、スポーツをやる人もいる。それが、僕にとっては映画を撮ることだったんです。すごく恥ずかしい言葉ですが、映画を撮っているときに、生きているなって実感できるんです。もちろん、楽しいのと同程度の苦痛が伴いますが、唯一、楽しくてしょうがないことですね。映画に対してだけなんです、本気になれるのは。後付けでしかないのかもしれませんが、小さいときからずっとそういうことを、探していたんだなと思います。

 僕が、映画監督になろうと決めたのは、高校生のとき。卒業後に、芸大に進学したんです。芸大なんて、ツブシがききませんよ。でも、退路を断つっていうのをやってみたかったんです。他のあらゆる可能性を自分で潰す。そうでもしないと、本気になれないと思っていました。

 ただ、芸大に入った人がみな、真剣に映画監督になろうとしているのかって言ったら、そんな人、ほとんどいません。僕は別に、人より優れた才能があるとは思いませんから、問題は、どれだけ本気になって努力できるかどうかだけですよね。

 ただ、他のことに関しては、本当にダメ。ダラダラしちゃうんです。本気になれることがあるってことは、その分、本気になれないこともあるので、バランスが悪い。洗濯できないとか、片づけられないとかは当然。むしろ、序の口です(笑)。結構、人間的に破綻しているところは、人よりも多いっていうのは、自信ありますね(笑)。

 映画って難しいんですよ。僕は、常に映画を考える人生は嫌だなって思うんです。たとえば、人とお酒を飲んでいるときに、その人の仕草や、言葉がおもしろくて、“あっ、これ映画になるな”とか思ってしまうと、全然楽しくない。映画のため、ネタ探しのために生きたりするのは、出発点としてちょっと違うのかなと。

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