「もともと、芸人を極めたいという気持ちはない人。まあ、最近は新しく事業を広げる様子もなく、淡路島でのんびり生活しているようですが……」(前同) これぞ、勝ち組の余生!?

 対照的に、副業の成功から、再び芸能界に戻ってきた芸人――それがヒロミだ。「1990年代にはバラエティに引っ張りだこでしたが、03年頃から露出が激減。芸能界の大物を怒らせて“干された”というのが定説です」(芸能記者)

 再ブレイクは、それから10年後。その間、彼はトレーニングジム『スタジオ51,5』を経営していたのだ。「オープンは06年。当時、珍しかった加圧トレーニングと、今では『ライザップ』でおなじみの、客にマンツーマンで教えるシステムを取り入れて大成功。ピーク時は、年商3億円といわれていました」(ワイドショーのスタッフ)

 経営者として注目されたが、その後、オーナーとスタッフとのイザコザが原因で、一部のジムを閉鎖。ヒロミも億単位の負債を抱えたと噂されたが、「事業は縮小したものの、ジム経営は継続中。と同時に、今は芸能界復帰で稼いでいますからね」(前同)

 それにしても年商ン億円も稼ぐとはスゴいのひと言。その理由を、芸人事情に詳しい“おわライター”のラリー遠田氏は、こう語る。「どんな事業にせよ、元手がなければ始められません。その点、紳助さん、たむけんさん、ヒロミさんなどの成功者は“お笑いの収入”があったから、思い切った初期投資もできるんです」

 人気芸人ならではの資金源。そして、もう一つ重要なのが“人脈”だという。「やしきたかじんさんは、心斎橋でラーメン屋をプロデュースし、これが大盛況。理由は言うまでもなく彼の知名度ですが、加えて、多くの芸能人が店に訪れたことも大きな客寄せとなりました」(在阪の芸能記者)

 同じく大阪でいえば、上沼恵美子も、本人は副業にさほど関わっていないが、「上沼の夫が関西テレビの子会社を立ち上げています。これなんかは、まさに“妻の人脈”を借りたビジネス。その夫は『犬も食わない上沼さんちの夫婦げんか事件簿』という本も出して、ガッポリ稼ぎました」(前同)

 ネームバリューや人脈も、副業の武器。千原せいじは、その典型だ。「彼は渋谷区内の居酒屋『せじけん』のオーナー。従業員も、自分がプロデュースする芸人や歌手でそろえ、せいじ本人も店に来ることで有名です」(芸能記者)

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