神山てんがい(役者)「琴線を揺り動かす作品に出会えると、役者で良かったと思う」絵金を甦らせる人間力の画像
神山てんがい(役者)「琴線を揺り動かす作品に出会えると、役者で良かったと思う」絵金を甦らせる人間力の画像

 5年前、幕末に活躍した絵金という絵師を演じることになったんです。江戸時代の絵師といえば、葛飾北斎が有名ですけど、北斎と比べても全然ひけを取らない達者な腕前なのに、ほとんど知られていない。土佐出身というと、坂本龍馬が有名ですよね。その龍馬に“貿易で異国に追いつくことが大事”と説いた河田小龍の絵の師匠が絵金なんです。龍馬と、同じ時代に生きた素晴らしい画家がいるんだってことを多くの人に知ってもらいたい。そういう思いで、5年前から絵金の生涯を描いた舞台をやり続けてきました。

 絵金の絵って、一見、気味の悪い絵のように思えるんです。血しぶきがバーッと散っているような絵も多い。でも、絵金が芝居絵屏風を大成させた高知県香南市の赤岡の人たちは、愛しい絵という言い方をするんです。今でも赤岡の人たちは絵金の絵を大事に守っている。そこまで惹かれる理由が、絵をずっと見ているとわかってくるんですよ。血しぶきが飛ぶ絵の角に、脇役がおどけた表情で描かれていたり、一枚の絵に二重の意味を持たせている。そういうのが、わかってくると、すごく魅力的な絵だなと思える。

 絵はもちろんですが、僕が絵金に一番惹かれるのは、彼の生き様なんですよ。18歳で絵の才能が認められて江戸へ行って絵の修業をして3年で免許皆伝となり、高知に戻ってきた。たった3年で免許皆伝になるのかとか、学費は誰が工面したのだとか、いろいろと疑問は残るんですが、それでも江戸に行って絵の勉強をしたのは確か。いわば、絵のエリートだったんですが、その後、贋作を描いた疑いをかけられて、高知城下から追放されてしまう。各地を転々とさすらいながら、町絵師として生活していたようなのですが、謎が多い。

 長いさすらいの後に、伯母がいた赤岡に住みついた。それでも、突然フラっと旅に出るような生活だったようなんです。今で言うバックパッカー気質だったんじゃないかなと。

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