姉・小林麻耶も、麻央さんとともに病気に立ち向かってきた一人だ。「麻央さんの闘病中、看病に加え、麗禾ちゃんと勸玄くんの世話を引き受けていたのが麻耶さんでした。無理がたたり、昨年5月には生放送中に体調を崩して、病院へ搬送。それを機に休養することが発表されましたが、以降は、まさに母親代わりとなり、2人の子どもに向き合っていたそうです」(芸能記者)

 特に麗禾ちゃんは、母である麻央さん、そして麻耶にも憧れており、「大きくなったらアナウンサーになりたいと言っているそうです」(前出の歌舞伎関係者) さらには、「麻央さんは姉の麻耶に“海老蔵さんをよろしく”と常々、口にしていたそうです」(前同)というから、今後も、麻耶が家族の中で大きな役割を果たすことになりそうだ。

「子どもたちも麻耶さんも、それを望んでいるのではないでしょうか。もともと、海老蔵さんは、麻央さんと出会う前から麻耶さんとは親しかったそうです。姉の友人であるという点も、麻央さんがヤンチャで有名だった彼と安心しておつきあいできた一因だったと記憶しています」(芸能リポーターの川内天子氏)

 それにしても34歳というのは早すぎる。「いつも神様は見ていると思って日々を過ごしているボクも、このときばかりは“おい、神様、順番が違うだろ!!”と言いたくなりました」と、自身が深い悲しみの中にありながら、そう本誌に話してくれたのは、麻央さんがお天気キャスターとしてデビューした『めざましどようび』(フジテレビ系)で、当時、スポーツコーナーを担当していた、元プロ野球選手のパンチ佐藤氏である。

「ボクの妻を交えた3人で、よく食事をご一緒させてもらいました。毎回、15分以上も前に待ち合わせ場所にいらしていた誠実な人柄、その美しい立ち姿、誰にも等しく優しく接することのできる品格に、いつも本当に素晴らしい方だなと感じていました。“パンチさんは渋くておいしいお店を知っている”とボクのことを信用してくれて、横浜の福富町という、男性でもちょっと腰が引けてしまうディープタウンで、鼻の頭にキムチの汁をつけながら一緒に韓国料理を食べたこと、あのかわいらしい笑顔が忘れられません」

 6月26日には、都内で密葬が営まれた。「今度は海老蔵が“愛してる”と棺に言葉をかけ、最期のお別れをしたそうです。また麻央さんは、まだ動けるときに、海老蔵や子どもたち、両親や姉の麻耶、お世話になった人たちに手紙を書いて、残していたそうです。まだ開封はされていないみたいですが、落ち着いたら、海老蔵から、その手紙が配られるようです」(別の歌舞伎関係者)

 麻央さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

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