勝新太郎、今だから話せる「豪快伝説」の画像
勝新太郎、今だから話せる「豪快伝説」の画像

 今も多くの映画ファンに愛され続けている名優・勝新太郎。その重厚かつ洒脱な演技はもとより、破天荒なエピソードの数々でも人々を魅了した。そんな“勝新”の没後20年に当たる今年、彼の関連本が続々出版されている。そんな中、元マネージャーだったアンディ松本氏が『勝新秘録わが師、わがオヤジ勝新太郎』(イースト・プレス)を上梓。出版記念のトークイベントも開催された。そこで本誌は、そのイベント後にアンディ氏を直撃。勝新の知られざる素顔をうかがい知れる逸話をたっぷりと聞いてきた。

「今年の6月でオヤジ(勝新太郎)が亡くなって20年になりましたが、年を経るごとに私の中ではオヤジの存在がどんどん大きくなっているんです」と語るアンディ氏は、1978年から84年までの6年間、勝新のマネージャーを務めた。79年の黒澤映画『影武者』の降板や、81年の勝プロダクション倒産など、多難な時期に仕えたのがアンディ氏だったのだ。

「オヤジが黒澤明監督とぶつかったのは、現場でオヤジがビデオカメラを回していたのが原因と、よく言われましたが、そうじゃない。映画の撮影初日というのは、出演者が最初に監督のところに行って挨拶するのが業界のルールなんですが、あのときは、役者が全員、最初にオヤジのところに挨拶に来ちゃったんだよね」(アンディ氏=以下同)

 それで黒澤監督がつむじを曲げたのか、現場にはクランクイン当日から不穏な空気が漂っていたという。「オヤジは“なぁアンディ、嫉妬で一番始末に困るのは、男と女、男と男、女と女、どれだと思う?”って聞いてきたことがあるんです。私が、“そりゃ男と女でしょ”と答えると、“バカヤロ、男と男だよ”と。つまり、そういうことです、真相は」

 勝新といえば、性格は豪放磊落、豪快な遊びっぷりで知られ、「飲み屋で同席した客の酒代を払うのは当たり前。店をハシゴするときは、見ず知らずの客まで引き連れて行くのが常」(当時を知る芸能記者)だったという。どんな相手に対しても、「チップは1万円」(前同)だったのも有名な話だ。

「オヤジはいつもポケットに300万円、無造作にねじ込んでいて、自分に関わってくれた人には、それこそ水を運んできたボーイさんにも、“ありがとうな”と言って必ず1万円のチップを渡していましたね。別に羽振りよく見せたいとか、カッコつけてたわけじゃない。“オレは出会った人に日々、勉強をさせてもらってる。お礼をするのは当然だろ”というのがオヤジの哲学だったんです」

 人とつきあうときは常に自然体。誰とでも分け隔てなく接し、権力を笠に着たり、人を見下すような人間は大嫌いだったという。

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