「とにかく、遊び方はキレイでしたね。とことん人を楽しませて勘定は全部、自分持ち。それを借金してまで続けたんだから、経済観念がないというより、金に無頓着だったんですよね」

 豪快さと繊細さを併せ持つ勝新の周りには、常に人が集まってきた。「中でも、スティービー・ワンダーとの出会いは忘れられません。勝プロの倒産直後、九州朝日放送から“盲目の座頭市と盲目の天才シンガーの対談をお願いしたい”という電話があったんです。私が“ご存じの通り、ウチは倒産したばかりでして”と答えると、先方の社長が電話に出て“勝さんの芸が倒産したわけじゃありませんよね?”と言うわけです。その言葉を聞いた瞬間、鳥肌が立ちましたね。そのことを伝えると、オヤジもいたく感激して、“アンディ、すぐに九州朝日放送の社長に会いに行くぞ”と」

 もともと勝新がスティービーのファンだったこともあり、話はトントン拍子に進んで、米国のスタジオでラジオ番組の収録をすることになった。「収録前にオヤジがお土産の三味線をプレゼントすると、スティービーは“どんな音色か聞かせてほしい”と言うので、オヤジがその場で三味線を弾くと、感激したスティービーはドラムのスティックで三味線の弦を叩き始めた。2人の即興演奏にスタジオ内は拍手喝采。映像として残さなかったのが悔やまれる奇跡の瞬間でした。まさにオヤジの言う“偶然完全”の一瞬でしたね」

 そして、勝新太郎の歴史を語るうえで避けて通れないのが、90年にハワイの空港でパンツの中から薬物が見つかるという事件。これについても、“もう時効だと思うから”と前置きして、アンディ氏は話してくれた。「オヤジはよく“ケミカルはダメ。天然物はいいんだよ”って言ってたんですよ(笑)。だから“おかしいな”と思った記憶があります」

 それはさておき、最後にアンディ氏は「勝新太郎像」を、こう語る。「オヤジほど、まっすぐでスケールの大きな男にはお目にかかったことがない。思えば、オヤジが遺した多くの名作だけでなく、オヤジの人生そのものが、“勝新太郎という名の作品”だったような気がします。今でもオヤジが愛用した香水、エルメスの“アマゾン”の香りがすると、そこにオヤジがいるような気がしてなりません」

 何ごとにも豪快だからこそ、破天荒であっても万人から愛された勝新太郎。これから先も、彼の武勇伝が永久に語り継がれていくことは、間違いないだろう。

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