ビートたけしが漫才師になるのを「嫌がった理由」が泣ける!!【前編】の画像
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 80年代の漫才ブームを牽引した伝説の漫才コンビ「ツービート」。放送コードを無視した過激すぎる毒舌ネタを畳み掛け、あっと言う間に日本一の売れっ子になったのは、ご存知の通り。ただ、たけし本人は漫才師になる気はまったくなかったという。ツービート結成秘話が詳述されている話題の書『もうひとつの浅草キッド』(ビートきよし著、双葉文庫、660円税込、8月2日発売)から真相を探るーー。

 たけしより先に漫才の世界に足を踏み込んでいたのは、相方のきよしだった。山形から上京し芸人になり、浅草のストリップ劇場で幕間のコントをやっていたきよしは、衰退するストリップに見切りをつけ、漫才師に転身していた。コンビ名は「二郎次郎」。しばらくはまったく芽が出なかったが、名古屋の大須演芸場に出演した際のネタが大ウケし、1年間のレギュラー出演が決まったのだ。

「これで売れる!」ーー出世のチャンスを掴んだきよしだったが、ある事情からコンビを解消することになってしまう。途方に暮れるきよしの頭に浮かんだのは、フランス座で一緒にコントをやっていたたけしの顔だった。早速、フランス座の楽屋を訪ねるきよしだったが、たけしの返事は「オイラ、そういうの興味ないから……」。なんとか説得しようときよしは何度も楽屋を訪ねたが、たけしの気が変わることはなかった。たけしがきよしの誘いを断り続けた理由ーーそれは、意外なものだった。

「オイラがフランス座辞めたらよ、師匠が困るだろうからさ……」

 現在、芸能界のトップに君臨するたけしの師匠、それは浅草が生んだ“伝説の芸人”深見千三郎だった。深見はフランス座の座長として、衰退する浅草演芸界を支えていた。事故で左手の親指以外を失っていたが、ギターやアコーディオンを弾きこなし、タップを踏み、舞台に立てば軽妙洒脱なツッコミで客を沸かす。深見の芸にたけしは感動し師匠と慕った。気難しくすぐに弟子を怒鳴る深見も、なぜかたけしだけは可愛がったという。

深見千三郎
深見千三郎

「師匠はあれだろ、泳いだりしないんだろ」
「てめー、バカヤロー! 俺だって泳ぐよ」
「でも、師匠は指ないから、平泳ぎしたらどんどん左に曲がっていくでしょ」
「うるせータケ、バカヤロー!」
フランス座の楽屋では、こうした深見とたけしのやり取りが日常の光景だったという。

「師匠は水泳で競争するといつも指の差で負けちゃうんでしょ」
「うるせー、バカヤロー!」
 たけしの軽口を聞く深見は、いつもうれしそうだったという。弟子が師匠に不謹慎なギャグを仕掛ける。これを師匠は「バカヤロー!」といって笑って許すーーこの“深見イズム”をたけしは自らの芸の血肉にしていったのだろう。

 “フランス座を辞めて漫才をやると、師匠を裏切ることになる”
たけしがきよしの誘いを受けて漫才の道へ踏み出せないのはそのせいだった。(続く)

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