V6長野博、坂本昌行、中居正広「大チャンスを逃して」スターになったジャニーズたち

 ちょっとした行き違いやタイミング、それがその後のアイドル人生を変えていくということが、ジャニーズにはある。アイドルを見いだす天才といわれるジャニー喜多川社長は、あるグループを結成する前に、“お試し期間”としてタレントを別のグループに参加させるなど、いろいろな試みをすることがある。V6長野博も、そうした試行を経験した一人だ。

 1986年、14歳で入所した長野はその翌年、ジャニーさんから電話がかかってきて、「ユー、スケボーできる?」と聞かれた。「できない」と返答すると、3分後に再び電話が鳴って、もう一度「スケボーできる?」と聞かれたという。長野は、それに対して「だから、できないって!」と、強めに否定したという

 実はこのとき、スケボーができると答えていたら、長野は光GENJIのバックダンサーとして活動したユニット「スケートボーイズ」に参加していたかもしれない。このスケートボーイズのメンバーは、91年にSMAPとしてデビュー。ジャニーさんからの電話で長野が違う答えをしていれば、彼もSMAPになっていた可能性があったのだ。ちなみにV6は、SMAPから遅れて4年後にデビューしている。

 SMAPだった中居正広も、光GENJIになり損ねたエピソードがある。まだジャニーズJr.だった87年当時、中居はローラースケートの練習に呼ばれていた。しかし、まじめに通ったのは最初だけで、すぐにサボって行かなくなってしまった。その数か月後、光GENJIがデビュー。彼らの最大の売りはローラースケートをはいたダンスパフォーマンスだった。光GENJIには、中居と同郷で、1歳年下の佐藤敦啓(現アツヒロ)が、メンバーとして参加していた。もし中居がローラースケートの練習を続けていたら、光GENJIのメンバー構成も変わっていたかもしれない。

 長野と同じくV6メンバーの坂本昌行は、SMAPの補欠メンバーとして活動していた時期があるが、他にも苦い過去がある。坂本は、当時アイドルの登竜門といわれていた伝説の学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBSテレビ系)のオーディションを受け、準主役級の役で合格していたという。ところが、出演するなら学校を半年ほど休学しなければいけないと言われ、せっかく受かった準主役を坂本は辞退。坂本いわく「後にも先にも、ジャニーさんに怒られたのはその一回。“なんで来たんだ! じゃあ”って言われた」そうだ。

 一度は手にしかけたチャンスを見送ってしまった長野博、中居正広、坂本昌行。しかし、彼らは後にV6、SMAPとしてスターとなった。チャンスを逃したことも、彼らには大きな幸運だったのかもしれない。

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