「花の82年組」として、華麗にデビューした早見優さん。そのままアイドルの王道を進むのかと思えば、上智大学へ進学するなど、型破りの活動が印象的だ。その素顔に迫った!
■ハワイでスカウトされて日本へ
――早見さんといえば、元祖バイリンガルの帰国子女として有名ですが、日本に戻って来たときはいろいろ戸惑うことも多かったんじゃないですか?
早見 はい。ハワイでスカウトされて2か月後には日本で芸能活動をしてたので、日本というか、特にアイドルの決まりごとはよく分からなかったですね。
――たとえば?
早見 アイドルって歌うときに振付があるじゃないですか。あれがよく理解できなかったんです。振付の先生に、「もっとダンスみたいのをしたい」って言ったら却下されて。
――ははぁ、外国育ちの人には、なじみがなかったかもしれませんね。
早見 とにかく自分が納得しないと動かない性格で、先生もそれを察してくれて、「振付というのは歌詞をより相手に伝えるためにあるんだよ」って、一つ一つ丁寧に意味を説明してくださったんです。それでようやく納得しました。そうそう、分からないといえば、「寝起き」ドッキリも!
■寝起きドッキリはアイドル番組では定番も…
――当時のアイドル番組では定番でしたが……。
早見 その頃は母と二人暮らしだったんですが、前の晩に、母が「髪の毛をとかしてから寝なさい」って、やたらと言うんです。「何を言ってんだろう」って不思議に思ってました(笑)。
――お母様も仕掛人の一人だったんですね。
早見 そうなんです。で、目が覚めたらリポーター役の轟二郎さんがいて……。あのときはホント、ビックリしましたよ(笑)。
――ワハハ。早見さんの同時代のアイドルにとって、通過儀礼だったのかも(笑)。同時代といえば、早見さんの同期の石川秀美さん、小泉今日子さん、中森明菜さん、堀ちえみさんらは『花の82年デビュー組』と呼ばれていますが、実際の仲はどうだったんですか?
■小泉今日子や中森明菜ら『花の82年デビュー組』の仲は!?
早見 それが、ホントに仲良しでしたよ。今は似たキャラの人は、一番組に一人しか呼ばれませんが、当時はアイドルが何人も同じ番組に出ることがよくあったんです。歌番組も多かったですしね。控室もみんな一緒の大部屋で。長い待ち時間も、スナック菓子を食べながらおしゃべりして、楽しく過ごしていました。
――でも内心は、レコードの売り上げや歌番組での順位は気になったりしなかったんですか?
早見 他のみんなは気にしてたのかなぁ。私はハワイの穏やかな環境で育ったせいか、あんまり競争心とかなくて。わりと呑気でした(笑)。
――マイペースだったんですね。言われてみれば、早見さんはその後、大学に進学するなど、独自の道を歩まれましたし。
■上智大学へ進学し、仕事と学業を両立
早見 実は、高校時代にアイドル活動で早退ばかりしていた私を、祖母がすごく心配してくれたんです。「人間として今後どうなるんだろう」って。で、亡くなる前に「ちゃんと大学だけは行ってね」って……入学の資金も貯めてくれていたんです。
――ええっ、素晴らしいおばあ様ですね。
早見 ありがとうございます。私自身も、10代で芸能界にいて大人とばかりつきあっていて、同じ年頃の人同士でぶつかり合ったりすることがなかったので、「人としての感じ方がマヒしているのかな、このままじゃいけないな」って思っていたんですよね。
――それで、一般の同世代の人が集まる場所に自分から飛び込んでいった、というわけですね。仕事と学業を両立させながら、大学では卒業アルバムの製作委員もなさってたとお聞きしてます。
早見 いえいえ、私はちょっとお手伝いしてただけで、めっそうもない(笑)。あ、でも、同級生の影響じゃないけど、大学3年生のときは就活を考えたこともあったんですよ。
●大学3年生のときに就職活動を!
――えっ!? トップアイドルが就職活動ですか!?
早見 当時は「やっぱり優ちゃんは帰国子女だね」って言われることがよくあったんです。日本だと、自分を主張することはあんまりないじゃないですか。そのうち、「私、日本が合わないのかな」って思い始めて……。
――へぇ~、テレビじゃ明るく振る舞ってましたが、悩んでたんですね。
早見 それで、海外に行って仕事を探そうかなって。でも、就活で苦労している同級生に、「優ちゃんは仕事が決まってていいよね」って言われて、「あ、これも仕事だな」とようやく気づいたんです。
――なるほど。そこで気持ちが切り替わったと。
早見 はい。「与えられた仕事はちゃんとやろう。でもこんなに楽しくていいのかしら」と思うようになりました(笑)。
■表参道のタレントショップはお母さんが経営
――当時は、山田邦子さんをはじめ、いろんな芸能人がタレントショップを経営してましたよね。早見さんも当時、表参道で『キューティー・パイ・ユウ』というお店を出してましたが、そのままショップ経営の実業家として進むつもりはなかったんですか?
早見 あはは。あれは、母がやってたんです。あるとき、母が「好きな絵を描いて」って言うので犬を描いたら、それがいつの間にかTシャツになって、売られてました(笑)。
――ははは。そうだったんですか。