
デビューして35年目。今や演歌歌手として、確固たる地位を築く長山洋子さん。アイドルとしてデビューした経緯から、現在の活動、そしてプライベートまで、ガツンと聞いた!
■急遽、アイドル歌手としてデビュー!
――今では演歌歌手として大人気の長山さんですが、当初はアイドルとして活躍されていましたよね。
長山 ええ。でも、もともと演歌歌手を目指していたんですよ。幼稚園の頃から民謡を習っていたので、ずっと民謡や演歌を聴いて育ってきたんです。
――でも、学校ではアイドルの話で持ち切りだったんじゃないですか。
長山 そうそう。でも、それはそれで別でしたね。当時はピンク・レディーさんがすごく流行っていた時代で、私も真似して踊ったりはしましたよ。
――じゃあ、アイドルへの憧れみたいなものもあったんじゃないですか?
長山 あの頃は「ちびっ子のど自慢」とかの歌番組によく出ていたんです。ほとんどの子がピンク・レディーさんか山口百恵さんを歌っていたんですけど、なんだか私は、こういうジャンルには入っていけないんだろうなって、漠然と思っていました。こぶしも回せたんで、私のジャンルは演歌だなって納得していたんですよ。
――でも、それなのに、なぜアイドルでデビュー?
長山 当時はアイドル全盛期でしたからね。事務所からは、やはり演歌はもっと大人になってからでもいいんじゃないかって言われたんです。それでデビュー直前に急遽、アイドル歌手としてデビューすることになったんです。
――直前、というのは?
長山 実は、演歌でのデビュー曲も決まっていて、あとはレコーディングするだけという段階まで進んでいたんです。だから、すぐに歌を代えてレコーディングをして、ジャケット写真の撮影をして……みたいな。
――すごく慌ただしかったんですね。
長山 髪型がアイドルっぽくないからって美容室に連れて行かれたり、私服もふだんからかわいいのを着なさいと言われたり(笑)。
――葛藤とかはありませんでした?
長山 休みなしでキャンペーンのために全国を歩いて、あっという間に1年が過ぎちゃった感じでしたね。そんなこと思う余裕すらありませんでした。
■堀越学園での女子高生時代は内気で…
――当時は16歳。どんな女子高生だったんですか。
長山 学校が堀越学園だったので、クラスにアイドルとしてデビューした同期の子たちがいたんですけど、彼女たちと一緒にいると、私だけ浮いているな~っていつも思っていました。アイドル特有の、高い声で「おはようございまーすっ!」っていうあいさつも全然できなくて……(笑)。
――ちょっと内気で一歩引いている感じですね。
長山 そうなんです。賞レースで皆が一列に並んでいるときも、人よりも必ず一歩下がっちゃってたんです。だから、よく怒られましたね。“東京生まれだから欲がないんだ!”って。
――東京生まれだから?
長山 デビュー当時は、都内の実家から通っていたんです。でも、地方から出てくる方は皆、ハングリー精神みたいなのを持っていたんで、そこが甘いんじゃないかと。一人暮らしを始めたのは、19歳からです。
――一人暮らしを始めた理由は何ですか?
長山 うちは両親がすごく厳しくて。門限なんか、夜の7時ですよ。
――それはすごく厳しいですね。じゃあ遅れて帰ってきたら……?
長山 姉も門限が7時で、遅れて帰ってきたことが重なってくると、ホントに家に入れてもらえなかったんです、翌朝まで。
――そういうことから離れて独立したいって気持ちもあったんでしょうね。
長山 そうですね。周りからも家から出たほうが、これからのためにもなるよってずっと言われてたし。でも、それはもう、親に大反対されましたね。
■デビュー10年目で演歌歌手に転向
――そんなアイドル時代を経て、デビュー10年目で演歌歌手に転向されました。
長山 当時はちゃんとプロデューサーがいないとダメだということで、コロムビア・レコードで演歌の黄金時代を作り上げた方を立ててくれて。その方が演歌の心構えから手取り足取りで教えてくださったので、私もこの人を信用していけばいいんだなって、すごく安心して演歌をスタートさせることができたんです。
――それからもう25年がたつわけですね。先々月には35周年記念の第一弾シングル『別れ上手』がリリースされました。
長山 ポップ歌謡系を久しくやっていなかったので、35周年の第一弾としては、そんなに力を入れたものじゃなくて、もっと軽いタッチのものでいこうということになって作りました。
――95年にリリースされた『捨てられて』のときは「でもね」ポーズが話題になりましたが、今回は左手の人差し指を回して男性を誘惑する……というフリがありますね。
長山 あのときは、大人の色気じゃなくて、かわいらしい色気を出そうということだったんですけど、あれから22年たって、女性としてもいろんな経験を積んできたんで、それよりもちょっと小悪魔的な雰囲気を出したほうが、この歌にはピッタリなのかなって。
――確かに大人っぽい歌詞ですよね。その中に“心の穴はお酒なんかじゃ埋まらない”という一節がありますが、長山さんだったら、心の穴を何で埋めますか?
■やっぱりお酒で、心の隙間を埋める?
長山 やっぱり、お酒……ですかね(笑)。でも埋まるかな~。まぁ埋まるまで飲み続けるんでしょうけど。
――ということは飲めるほうなんですね。
長山 そうですね。飲めるほうだと思います。私、もともと日本酒が好だったんですけど、ワインを覚えてからは、そっちのほうをよく飲むようになりましたね。
――酔うと、どうなっちゃうんですか?
長山 ず~っと、しゃべってます(笑)。明るくなるタイプです。決して絡んだりはしませんよ。
――じゃあ、量もかなりイケる口なんですか。
長山 独身時代は、ほぼ毎日飲んでましたね。でも、結婚して家族ができて、生活環境が変わったら、やっぱり深酒もできなくなるし、酒量も減りましたね。
■恋愛と結婚は違う
――2009年にIT関連の人材派遣会社を経営されているアメリカ人のご主人と結婚されたんですよね。当時のインタビューで「結婚して初めて感じたのは、恋愛と結婚は違う」とお話されていましたが……。
長山 おつきあいしているときは、恋愛しているってイメージがなかったんです、最初から。それまでは、恋愛が結婚に発展したらいいなって思っていた時期があったんですけど、先を考えて、どうしても構えちゃってたんです。
――でも、ご主人は違ったんですか?
長山 そう。なんだか一緒にいて楽というか、ホントにパートナーって感じだったんですね。価値観っていうんですかね、そこが大まかなところは合っていたんですけど、少しズレているぐらいだったのが良かったんだと思います。結婚してずっと一緒に歩んでいくのならば、大事なところは残して、歩み寄れるところは歩み寄っていければいいなって思ったんですね。
――その翌年には、お子さんも出産されて。
長山 はい。やはり、そこで生活がガラッと変わりましたね。
――たとえば、どんなふうに?
長山 先ほどお話したように、お酒の量が減ったのもそうなんですが、とにかく早寝早起きになりましたね。今ではとても健康的な生活を送っています。
――それが、いつまでも若々しくお美しい秘訣かもしれませんね。
長山 そうですか!? ありがとうございます。でも、もう全然若くないですよ。もうすぐ50歳になりますから……。
■五十路になっても若々しく健康で
――全然そう見えないです。
長山 自分でもまったく実感はないんですけどね。私は早生まれなんで、先に50歳になった中学時代の女友達に“50歳になった感じはどう?”って聞いたことがあるんです。すると、改めて体力のことや老後のことを、もっとちゃんと考えなきゃいけないなって思ったって話してくれて。
――長山さんはどうですか?
長山 私はね、健康であればいいかなって(笑)。年だからというのは考えないことにしようって。スポーツをやるのは正直きついんだけど、やらなくなったらダメだなって思うので、無理してでもやるようにしています(笑)。
■神野美伽さんとジョイントコンサート
――素晴らしい心がけですね。それでは、そろそろお時間なので、最後に今後の抱負をお願いします。
長山 神野美伽さんとのジョイントコンサート(9月22日・23日、大阪・新歌舞伎座にて)を控えているんですが、それが今から楽しみです。神野さんは演歌でデビューして演歌一筋ですが、実は同期なんですよ。昨年もご一緒させていただいたんですが、今年はどんなふうに盛り上げていこうか、ワクワクしています。ぜひ見に来ていただきたいですね。
多くの人たちの支えがあったからこそ、35年も続けてこられたと語る長山さん。その感謝に応えるためにも、津軽三味線の継続と着物という日本伝統文化は広げていきたいのだとか。これからも、日本人の心である演歌を歌い続けてほしいものです。
長山洋子 ながやま・ようこ
1968年1月13日、東京都生まれ。AB型。84年4月、『春はSA・RA SA・RA』でデビュー。86年リリースの『ヴィーナス』がヒット。93年、演歌歌手に転身し『蜩』をリリース。その後、『捨てられて』や立ち弾き三味線で歌う『じょんがら女節』が大ヒットとなる。現在は歌謡番組『洋子の演歌一直線』(テレビ東京系、毎週日曜5:30~)にレギュラー出演中。
編集部発「今日はこの番組がオススメ!」→→→水曜日のダウンタウン