『欽ドン』の“マスコットガール”として人気者になり、その後アイドル歌手、女優としてキャリアを築いてきた香坂みゆきさん。デビューから私生活、40周年ライブまで、癒しの笑顔で話していただきました!
■芸能界のお仕事は3歳の頃からやっていました
――相変わらず、お美しいですね。香坂さんは、70年代に放映された萩本欽一さん司会の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』マスコットガールで、テレビデビューされたんですよね。
香坂 本格的にはそうですね。でも、芸能界のお仕事は3歳の頃からやっていたんですよ。
――そうなんですか!?
香坂 雑誌のモデルを経て、学年誌の表紙のモデルをやらせていただいていたんです。
――そこから、初のテレビ出演を果たしたんですね。萩本さんの印象は?
香坂 失礼な言い方ですけど、なんかもう、全然違う世界の方すぎて、怖くもなかった(笑)。オーディションのときに、スタッフの一人を指さして「この人、いくつに見える?」って聞かれて、困っていたら「すぐ答えなくちゃダメだよ」って言われたのを覚えています。それで、もう落ちたなと思ったんですけど……。
――それが逆に良かったんですかね。
香坂 でも、たぶん萩本さんも、『欽ドン!』が終ったら、この子はまた普通の子に戻るんだろうなと思っていたと思いますよ。
――なぜですか?
香坂 あの当時は私自身、どうしても芸能界で働きたいって意識はなかったんです。『欽ドン!』は公開番組だし、私もお客の一人って感じで隣に座っていればいいんだ……くらいの感覚だったので(笑)。だから、みんなが笑っていても私は「……」と黙ってることがよくありましたよね。
■大場久美子、榊原郁恵、川崎麻世などが同期
――その後、77年に『愛の芽ばえ』で歌手デビュー。
香坂 当時、同じ事務所にいた桜田淳子さんが出演される映画の脇役で出ないかって話があって、そこから流れでそうなったんですね。当時は『スター誕生!』みたいな番組があって、「絶対に歌手になるっ!」という人たちもいっぱいいる中で、私はなんとなく(笑)。
――77年にデビューされた同期には大場久美子さん、榊原郁恵さん、高田みづえさん、清水由貴子さん、そして川崎麻世さんたちがいらっしゃいましたね。
香坂 私たちは俗に言う“花の82年組”と、松田聖子さんたちアイドル全盛世代の狭間にいて、まだ“アイドル”という呼称ではなかったんです。“新人”という言い方でしたね。
――以前、このページに出ていただいた早見優さんはまさに82年組の1人で、早見さんは「みんな、とても仲が良かった」とおっしゃっていました。77年組はどうだったんですか?
香坂 77年組といっても、あくまでデビューの年だから、実年齢は違ったんです。私と川崎麻世くんは14歳で、郁恵さんは16歳、みづえさんは18歳で。でも、優ちゃんたちはみんな同い年だったんですよ。
――その年頃の年齢差って、かなり大きいですよね。
香坂 そうなんですよね。学校では、1年生から見たら3年生は雲の上の人。そんなところに82年組との違いがあったんでしょうね。
――デビューしてからは、どんな生活だったんですか。
香坂 中学3年生だったんですけど、地方で仕事を終えた後に、夜行列車で朝5時半とか6時に――そう、当時は東京駅じゃなくて、上野だったんですよ。上野に戻ってくると、事務所の方が学校の制服や鞄を持って駅で待っていてくれたので、そこで着替えて登校って感じでしたね。デビュー当時は新宿の祖母の家に居候していて、高2の時に一人暮らしを始めたんです。
■女優業に軸足を移し、タレントの清水圭と結婚
――たいへんなハードワークだったんですね。その後、女優業に軸足を移し、94年にはタレントの清水圭さんと結婚されて。
香坂 最初は、圭ちゃんのことを知らなかったんです。当時、バラエティ番組の仕事でハワイでゴルフ対決っていうのがあって、そこでの共演が出会いでした。当時はまだ東京に進出してなかったので、「清水圭って誰だ?」と思って(笑)。収録前にそのことを可愛かずみ(故人)ちゃんに話したら、「あ、彼が出てるビデオ持ってるよ」って話になって、かずみちゃんの家でそれを見たんです。そうしたら圭ちゃん、お尻を出した格好で(笑)。
――なんとも衝撃的なファースト・コンタクトだったんですね(笑)。
香坂 でも、会って顔見知りになってみると、すごく繊細な面もあったりして。実は筆まめで、共演後、事あるごとにお手紙をいただくようになったんです。