アイクぬわら「アメリカ人として最強のエンターテイナーに」笑わせる人間力の画像
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 高田純次さんの「早朝バズーカ」にはホントに驚きましたよ。大学時代にたまたまシアトルのチャイナタウンにある日本のDVDショップに入ったら、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の映像が流れてて。知らない日本人がバズーカで人を起こしてるんですから(笑)。「何これ? 日本のコメディって、こんなにクレイジーで面白いの?」って興味を持って、日本のお笑いのDVDを何本も観てたら、すっかりハマッちゃったんですよ。そのうち日本のお笑い芸人になりたいと思うようになって、20歳(2006年)のとき、2年飛び級で大学を卒業した1週間後に来日したんです。

■グーグルで調べたら「日本のお笑いといえば大阪」って…

 当時はホントに何も考えてなかったですね。「まだ若いんだから、失敗したらアメリカに帰って就職すればいいじゃん」という軽い気持ちだったし、行く先を大阪にしたのも、グーグルで調べたら「日本のお笑いといえば大阪」ということだったから選んだだけ。でも、来日当日に新大阪駅に到着しても、日本語は喋れないし漢字も読めない。そんな僕の困っている様子を見て、コマツさんという、60代くらいの夫婦が片言の英語で声を掛けてくれたんですよ。「日本のお笑い芸人になりたくて日本に来た」と聞いて、彼らもビックリしてましたね。だって、日本語もしゃべれない黒人がワケのわからないこと言ってるんですから(笑)。

 それから「ホテルを探してる。5万円持ってきてるから、2か月くらいは過ごせると思う」と話したら、「無理無理! ここはシアトルじゃないんだから」って(笑)。結局、「息子も娘も自立して部屋が空いてるから、泊まっていきなさい」ということで、コマツさんの家にお世話になったんですよね。泊まりも食事もタダで、その代わり、僕が英語を教え、コマツさんからは日本語を教えてもらいました。バリバリの関西弁でしたけど(笑)。

■ゴールドマン・サックスのIT系エンジニアを経て「超新塾」へ

 コマツさんの家にはだいたい2か月半いました。3か月の観光ビザが切れる前に仕事を探さなければいけなくなって、たまたま知った東京ビッグサイトでの企業の合同面接会に行ったら、証券会社のゴールドマン・サックスにIT系のエンジニアとして採用されたんです。僕、9歳からITを勉強してて、ITの資格を4つくらい持ってるオタクなので、知識は豊富だったんですよ。

 それで会社のある東京に引っ越した後、働きながら日本語や日本のお笑いを勉強して、いずれは会社を辞めてお笑い一本で行こうと考えていましたね。2011年にお笑いグループ「超新塾」の新メンバーオーディションに合格して芸能界入りするまで5年かかりましたけど、もしあのときコマツさんに出会ってなかったら、今ここにはいなかったかもしれないですね。

 今年で芸歴6年、来日してから11年。僕はアメリカ人だから、当然、心も考え方もアメリカ人なんですけど、この間久しぶりに帰国したら、自分でも驚いたことがあったんです。実家でお母さんが「新しい車を買ったよ」って言ったとき、僕、何のためらいもなく「へえ~」って返しちゃったんですよ。そしたら、「へえ~って何よ! あなた、頭おかしいの?」って怒られて(笑)。アメリカ人はそういうとき「オー、リアリー?」って言うんです。「ああ、いつのまにか日本人の心になってるんだなあ」って思いましたよ(笑)。

 でも、日本の生活がイヤでアメリカに帰りたくなったことは一度もないですね。めちゃくちゃ頭は使いますけど、自分じゃない言語で自分じゃない国の人たちを笑わせることはホントに楽しい。だから、今後も日本でずっと仕事をしていきたいですね。そのためには、誰もが認める自分のキャラを早く確立して、テレビやラジオ、ライブなどで、僕自身の力で面白いことを進行できるようになりたい。目指すはアメリカ人として最強のエンターテイナーですね。

撮影/弦巻 勝

アイクぬわら(あいく・ぬわら)
1986年6月5日、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ。大学を2年飛び級して20歳で卒業した後に来日。証券会社ゴールドマン・サックス勤務を経て、2011年にオーディションを勝ち抜き、お笑いグループ「超新塾」に加入。ボイスパーカッションをするリズムネタで注目を集め、現在はピンとしても多方面で活躍中。

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