プロ野球ドラフト会議「大事件の裏側」衝撃レポート

 ファンが待ちわびるドラフトの季節がやってきた。クジによって人生が変わった怪物や、まさかの指名に唖然としたスター選手。“運命の一日”の裏に隠されたドラマを追う!

■PL学園・清原和博と桑田真澄の因縁

 1985年のドラフト会議は、「KKドラフト」といわれていた。KKとはもちろん、PL学園の清原和博と桑田真澄である。だが、桑田が早々に早稲田大学進学を表明。清原は巨人志望だったこともあり、巨人のドラフト1位は清原で決まりと思われていた。ところが、蓋を開けると巨人は1位に桑田を指名し、清原は6球団競合の末、西武が交渉権を獲得。清原が会見で涙を浮かべた大事件の真相を、スポーツ紙ベテラン記者がこう明かす。

「巨人の1位は清原で揺るぎなかった。だけど、ドラフトが近づいたときに、大阪読売新聞の社会部から“清原の指名はやめたほうがいい”と連絡が入ったそうなんです。そこで急遽、桑田を指名した。桑田は、高校時代はストレートとカーブしか投げなかった。ところが、9月の国体で初めてスライダーを投げたんです。それをスカウトが見て、“これなら十分通用する”と踏んだんです」

 もし清原が巨人に入団し、桑田が早大に進学していたら……。アマチュア選手たちの人生は、ドラフトに大きく左右されるのだ。

■古田敦也は1987年のドラフトで指名漏れ

 本当に指名されるのかは、当日にならないと分からない。ドラフトに翻弄された選手が古田敦也だ。古田は、立命館大時代から注目の捕手だった。87年のドラフトでは、「1、2位指名でなければプロに行かない」と発言。すると、各球団がにらみ合いを続けたままドラフトが終了し、指名漏れとなった。

 その後、トヨタ自動車に入社し、腕を磨いた古田は、89年のドラフトの目玉となり、ヤクルトから2位指名を受けた。当時、ヤクルトのスカウトをしていた片岡宏雄氏に、振り返ってもらった。「古田本人に獲得の意思を伝えると、“嘘じゃないですよね”とニコリともせずに答えたんです。それほど87年の悔しさが大きかったんだと思います。会議で古田のことを野村克也監督に話すと、“眼鏡のキャッチャーはいらん”と一蹴されましたが、私も“この選手は即戦力になります”と反論したんです」

●野村克也監督は野茂英雄を1位指名するも…

 結局、投手を熱望する野村監督が押しきり、野茂英雄を1位指名するも近鉄が引き当てたため、外れ1位で西村龍次を指名した。「私は“次は古田で行きます”と宣言し、2位で指名することに成功したんです」(前同)

 選手を見続けているだけに、眼力はスカウトのほうが長けているのだろうか。「ノムさんも、実際に見た選手は当てています。神宮の監督室でヒマなときに大学野球を見ていて、“これはいいぞ”と評価したのが、稲葉篤紀と真中満。さすがの眼力です」(前出のベテラン記者) 古田のこともじっくり見ていたら、1位で指名していたかもしれない。

■落合博満はロッテに3位指名

 才能を見抜くために、スカウトはどんな部分を見ているのか。V9時代の巨人で、“エースのジョー”として活躍し、引退後にロッテ、巨人でスカウトを務めていた城之内邦雄氏に話を聞いた。「打者は、自分が投げているつもりで見ていた」

 その視点で見て発掘したのが落合博満だ。「落合を見たときに、カーブを打つのがうまかったんだよ。カーブを打てないとプロでは通用しないから。後で落合に聞いたら、小学校の頃から新聞紙を丸めて兄貴と打ってたんだって。新聞紙は落ちるから、それで変化球打ちがうまくなったのかもな。あと練習をよくしていた。練習後にバットを2時間振っていた。1時間は振れても2時間は振れない」

 78年、落合はロッテに3位指名を受ける。3度の三冠王は、幼い頃からの練習の賜物だったのだ。

■伊良部秀輝を高校1年のときに見て素質に惚れ込んだ

 ロッテのスカウトとして40年間、アマチュア選手を見続けた鈴木皖武氏は、伊良部秀輝を高校1年生のときに見て、その素質に惚れ込んだ。「4月に尽誠学園に行くと、大河賢二郎監督から“いい選手がいるから見てってくれ”と言われたんですよね。それで呼ばれて、ネット裏に走ってくる姿が印象的でしたね。大きい体なのに、すごくバネがある走りをしていたんです。普通、高校1年生なら、もっとヨタヨタ走るんですよね」

 メンタル面を心配して敬遠する球団をよそに、ロッテは87年のドラフト1位で伊良部を獲得。日米通算106勝を挙げるエースにまで成長した。

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