エリザベス女王には、戦時中の有名な逸話がある。第2次世界大戦の真っ只中だった1940年、ロンドンはドイツ大編隊機の猛爆を受けていたのだが、当時14歳のエリザベスはアメリカへの疎開を拒否。「私は国民とともに闘う」とバッキンガム宮殿に居残り、親族や知己と顔を合わすと、相言葉のように「トゥザビクトリー」(=勝利に向かって)と、口にしたという。そして実際、イギリスは最後にはドイツに勝利するのである。

■G1エリザベス女王杯にトゥザヴィクトリーが出走

 そのエリザベス女王の名を頂戴したエリザベス女王杯に、2000年、エリザベス女王が自らを奮い立たせた魔法の言葉、「トゥザヴィクトリー」を名乗る馬が出走してきた。父サンデーサイレンス、母フェアリードールという血統の鹿毛馬、トゥザヴィクトリーである。重賞連勝中で人気になったが、結果は4着。しかし翌年、見事な末脚でエリザベス女王杯を勝ってみせる。1着から4着までが同タイムという、激しい競り合いを不屈の闘志で制したのだ。

●娘のトーセンビクトリーは京都競馬場で脈あり

 そのトゥザヴィクトリーの娘が、今年のエリザベス女王杯には出走してくる。父キングカメハメハ、母トゥザヴィクトリーという血統の鹿毛馬、トーセンビクトリーである。初のエリザベス女王杯挑戦。京都芝良は、使い出し3戦目以内なら1、1着。ここは脈ありだ。

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