このニュースには驚いた。“白覆面の魔王”と恐れられた元プロレスラーのザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)が旭日双光章を受章した。旭日章は大綬章を筆頭に重光章、中綬章、小綬章、双光章、単光章の6等級に分かれており、双光章は旧制度下では「勲五等」に相当する。いくつかある授与基準の中で、デストロイヤーに該当するものがあるとすれば、(4)の「文化又はスポーツの振興に寄与した者」だろう。

■力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木と死闘

 外務省によれば、外国人プロレスラーで旭日章を受章したのはデストロイヤーが初めてとのことである。力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木と死闘を繰り広げたデストロイヤーも、引退して24年が経つ。さすがに足腰も衰え、現在は歩行器が必要だという。

●力道山との一戦は視聴率64%!

 デストロイヤーといえば代名詞は「4の字固め」だ。私たちの世代でこの必殺技を知らない者は、まずいない。プロレスごっこの花形だった。1963年5月、日本テレビが放送した力道山とのWWA世界選手権の視聴率は64%。66年7月のザ・ビートルズ日本公演の視聴率が56.5%。当時のプロレスは、まさに国民的行事だったのだ。

■ただのヒールではなかったデストロイヤー

 デストロイヤーは「ジ・インテリジェント」と名乗るだけあって、ただのヒール(悪玉)ではなかった。初来日時に“耳そぎ男”キラー・コワルスキーの顔を張ったのはその典型だろう。出来レースだったとの説もあるが、あれで一躍、デストロイヤーの“悪名”は響き渡った。

●“詰め将棋”を思わせる、昭和プロレスの名シーン

 フィニッシュへの手続きは“詰め将棋”を思わせるほど理詰めだった。たとえば馬場への4の字固め。長い足を執拗に攻め、時間をかけて“あり地獄”に引きずり込んだ。それを裏返しにして必死に耐える馬場。手に汗握る昭和プロレスの名シーンである。

 ひとつ気になることがある。授与ならびに伝達式において覆面姿での出席は認められていない。興味が募る87歳の素顔だ。

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