■入門後は順調に出世するが…

 平成9年初場所、鰺ヶ沢高を経て初土俵を踏んだ安美錦は、天性の“相撲のうまさ”もあって順調に出世。3年後の12年初場所、新十両に昇進する。一方、高校卒業後、中央大学に進んだ豪風は相撲部で活躍し、4年生のとき、学生横綱に輝いた。相撲に対する自信と、付け出し資格を得た豪風は、大相撲への入門を決意。周囲の反対を押し切って、14年夏場所、幕下15枚目格付け出しでデビュー。同年秋場所、所要2場所というスピードで十両昇進を決めた。

豪 安美関が新十両になったのって、確か21歳ですよね? その場所、アマ27冠で、“スーパールーキー”と騒がれていた琴光喜関を倒した相撲が、かっこよかったなぁ。

■ケガで手術するなど休場を余儀なくされ…

安 その年の名古屋場所で幕内に上がって敢闘賞もいただいたんだけど、一時、十両に落ちたり、それからしばらくは自分の相撲が固まらなかったような気がする。それで、25歳のとき、右ヒザ前十字靭帯損傷をやってしまって……。あのときは、それからずっとヒザのケガとつきあっていくとは思わなかったよ。

豪 自分も新入幕の場所(15年春場所)に、ヒザと足首を痛めて休場。それで十両に落ちて、なんとか3場所で幕内に復帰したんですが、翌年の秋頃から目を痛めてしまって……。ブチかましていく相撲を取る力士に多い網膜剥離でした。プロの世界の破壊力の強さを思い知らされましたね。でも、そのとき、ありがたかったのは、師匠(尾車親方=元大関・琴風)がすぐに手術の段取りをしてくださったことです。「お前は考え込むタイプだから、(手術をするかしないかで)悩む時間を与えてしまってはダメだ」ということで、考える間もなく、初めて全身麻酔での手術に臨んだんです。結果は“吉”と出ました。

安 お前みたいなタイプの力士は、目への衝撃も強いだろうからなぁ。俺もヒザのケガを繰り返して、そのたびに休場して……。気がついたら30歳を過ぎていた感じだよ。途中、自分でも何をやっているのか分からなくなって、「なんとなく相撲を取ってるんだったら、もう辞めよう」と思ったこともあった。でも、師匠(元横綱・旭富士)が怖くて、そんなことは言い出せなかったんだ(笑)。

■結婚して家庭を持つことで闘争心に火が!

豪 そうだったんですか。自分も目の手術の後も、いろいろな病気があったりして、ようやく平成17年夏場所から幕内に定着できるようになりました。結婚したのは、その翌年で27歳のときです。独身時より、もっと厳しい環境を作って、相撲から逃げられないようにした部分もありました。家庭を持ったことで、闘争心により火がつきました。

安 俺が結婚したのは34歳のとき。周囲はほとんど結婚していて「正直、自分は結婚とかするのかな?」なんて思っていたけど、結婚してすぐに長女、2年後に次女が生まれて、家族の存在がいかに大きいものかってことが分かったんだよね。そして、今年の7月には、長男が生まれて……。この前、大阪市で行われた巡業では、息子と一緒におそろいの化粧まわしで土俵入りもできた。子どもの成長を見ると、「まだまだ頑張らないと!」と思うよね。

豪 同感です。ウチの場合は、息子が4年生で娘が2年生。子どもは、父親と母親、2人の愛で育てていくべきものだと思っているんですが、力士の場合、1年の半分近くを留守にしますからね。子どもたちには「つらい思いをさせてるなぁ」と思っていますが、素直に育ってくれているので、妻には感謝しています。ウチの息子は、自分が中学時代に柔道部だったこともあって、柔道を習っていたんですが、最近、相撲に興味を持ち始めたんです。小学生の相撲は、大相撲と同じで無差別級ですから、小学生で100キロ近い選手もいるわけです。相撲に勝つためには体重も必要なんですが、息子は体が大きいほうじゃない。「おまえ、100キロになれるか?」と聞いたら、「無理だと思う」と言うので、「体重で階級が決まる柔道のほうがいいんじゃないか?」と、あえて相撲は勧めなかった。

安 その気持ち、分かるよ。ウチの場合、まだ小さいから実感は湧かないけれど、俺も自分からは勧めないだろうな。本人が「相撲をやりたい」と言ってきたら、「ダメだ」とは言わないかもしれないけど……。

豪 「父親と同じ仕事に就きたい」と言われると、悪い気はしないんですよね。

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