車イスで芸人からホストへ転身!寺田ユースケさんの壮絶な人生とは!?

 生まれつき脳性まひで足が不自由な寺田ユースケさん。歌舞伎町でホストクラブを経営する「Smappa!Group」のオフィスで働く傍ら、このたび、自らの半生をつづった『車イスホスト。』(双葉社)を上梓した。現在は、車イスヒッチハイクで全国を定期的に旅する活動「HELPUSH(ヘルプッシュ)」にも力を注いでいる。

 足が不自由なのにもかかわらず、健常者に負けたくない一心で野球に打ち込んだ少年時代を経て、関西学院大学在学中に彼が目指した道は“お笑い芸人”だった。23歳でNSC大阪校を卒業した後は、東京を拠点に、車イスや障害を扱ったネタで活動するも、芸人としての限界を感じその道を断念。その後に就いた職業が歌舞伎町のホストだった――。そんな彼に、お話を伺った。

――なぜ芸人を目指そうと思ったのですか?

「大学生活がうまくいかなくて、落ちこんでいた時期があったんですけど、母や周りの勧めもあって車イス生活を始めたんです。そうしたら、生活の不自由さもだいぶ解消され、ポジティブになって人前に出られるようになりました。その時期に出会ったハーフの友人が、僕が少しお酒を飲んだら『飲酒運転ちゃうん?(笑)』なんて、気軽に障害を笑いに変えてくれて。その空間がとても気持ち良かったんです。その後、イギリスに1年間の留学をしたんですけど、そこで偶然観たMr.ビーンのコントでは、障がい者のことも普通に笑っていたんです。それを見て衝撃を受けました。それで自分も友人にいじられて笑えたのを思い出して、ハゲ・デブ・チビと同じように車イスも笑ってもらいたい! と。それから芸人になりたいと思ったんですよね」

――芸人を辞めてホストになったきっかけは?

「芸人を辞めたことは、ひと言で言えば挫折です。最初はホストになりたいと思ってなったわけではありませんでした。夢破れて、もうダメなのかなと思っているときに、たまたまホストクラブを経営する手塚マキさんと出会い、背中をドン! と押していただいたような感じでしょうか。人生において、家族を含め誰もが予想しない仰天な展開でした(笑)」

――ホストを経験して、得られたものとは?

「芸人のときは、“マス”ばかりを見ていて、目の前が見えていなかったんです。テレビに出れば、みんなに思いが伝わるだろうとばかり考え、目の前の人に伝えようとしていなかった。ホストになって、目の前の一人一人に思いを伝える大切さと、周りへの感謝の気持ちが欠けていたことにも気づくことができました。さらには、“知る”ことから差別がなくなるということを教えてくれたのは、ホストクラブの皆さんのお陰だなと思っています。というのは、僕も“ホスト”という職業に、最初偏見を持っていたんです。でも一緒にホスト仲間と働くことで、その偏見がなくなって本当の仲間になれた。他のホストのみんなも、障がい者とのコミュニケーションが気軽にできるようになった、とオーナーから聞いたときは嬉しかったですね」

――これからの目標は?

「近々の目標で言えば、“ホストが教養を養うために、本を読んでほしい”と、Smappa!Groupがホストのセカンドキャリアのことを考えて立ち上げた書店『歌舞伎町ブックセンター』をもっと盛り上げることです。長い目標で言えば、現在行っている『HELPUSH』の活動で、日本全国の一人一人に車イスを押してもらうことも含め、一人でも多くの方にマイノリティの理解者になってもらうこと。そのために、日々活動していくつもりです」

プロフィール

 寺田ユースケ。源氏名はクララ。1990年愛知県名古屋市生まれ。生まれつき足が不自由なため車イスで生活している。現在、在籍していたホストクラブ「APiTS」を経営する「Smappa!Group」のオフィスで働く傍ら、車イスヒッチハイクで全国を駆け回る活動「HELPUSH」(※気軽な助け合いができる世の中にしたいというメッセージを広げる活動。詳しくは https://helpush.com/)にも力を注いでいる。

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